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( 祖父の訃報 )
2002年06月21日(金)


母方のおじいちゃんが死んだ。

という内容の手紙が届いたのは今日だった。
息を引き取ったのは5月30日。
原因は肺炎で、医者の対応の遅延のせいだったという。
そういえば父親からのメールに、
 悪い事は重なるものですね。
 帰って来たらいろいろと驚く事もあるでしょうが…
みたいな事が書いてあったのを思い出す。
それはきっとこの事だったのだろうと思う。
おばあちゃんの希望もあって、
私には心配させるといけないから知らせない
で置こうという事になったという。
(願書等のゴタゴタもあったし)
そういえばW杯の日本の初戦があった日、
親と連絡を取る必要が生じて、何処にいるかと
メールで尋ねたら、田舎にいるという事でそちらに電話した。
あの時は、まさか祖父が亡くなったなどと
露も知らなかったわけだから、
なんでそこにいるんだとも聞かずに用件だけで電話を切った。
でも今考えるとあれは、葬式だったんだと思う。

何がつらいかといえば。
死ぬ、という事はそれは悲しくないわけではないのだけれど、
それを伝えられなかったという事がやりきれない。
もし母が手紙で知らせてくれなかったら、
私は祖父が死んだ1ヶ月後にその訃報を聞く事になったわけで。
何故あの電話の時一言言ってくれなかったのか。
私は、そういう事実も受け止められない程の子供じゃないし、
ましてや後で聞かされる事のやるせなさという物を考えてほしかった。
心配させるのはいけない、というのも分かるけれど、
最期くらい心配させて欲しかった。
最期まで意識があったというのなら、
伝えたい事はいっぱいあった。
死に目に会わなくてもよかったから。
せめて思い出を振り返るだけの時間はほしかった。

おじいちゃん子ではなかったけれども。
最近ではあんまり話さなくなっていたけれども。
だからこそ残る未練という物はいっぱいあるわけで。
7月初日が納骨だという。
それには間に合う事ができそうで、
胸を撫で下ろす私なのだけれど。

ただ、約一ヶ月という時の経過が、
大きな溝となって私の心に穴を作る。
ただ、それだけのことで。







書き人→葉月
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