Dozy days

2007年08月17日(金)

母が今吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋 2006 総集編アンコールを真剣に見ています。

懐古厨だなぁ と生ぬるい眼差しを向けていたのですが、わたしも同じ血を引く人間でした。隣の部屋のテレビの音を息を殺して聴いています。(素直にリビングに行けばいいんだけど ネットしたかったの)

長年つきあってた彼女に別れを告げなくちゃいけない状況にあって、彼女をお店に呼ぶんです。だって今日で会うのが最後なのにシャワーを浴びるのは悲しいでしょう。という内容の歌がテレビから流れてきて大変びっくりしました。昭和のみなさん頭が固くていらっしゃると思いこんでいました。こんな官能的で素敵な歌詞を聴いて育って来たはずなのに、PTAのおばさま方はどうしてもにゃもにゃもにゃ

今度は「わたしは今日まで生きていました」という歌詞がエンドレスで繰り返されています。青春時代に誰もが通る(と思ってたけど意外とそうでもない)鬱々とした気持ちに光が差す出来事ってありますでしょ。(ありますでしょ じゃねーよ)恋とか友情とかさ、誰かが私の手を引っ張ってお外に連れ出してくれるんじゃねーかな、みたいな!(永野のりこさんみたいですね)まさにあの気持ち、モラトリアムなあの気持ち。酸っぱいだけのあの気持ち。つま恋に集まった数万人の中年男女は間違いなくあの気持ちに立ち返っているんです。歌ってすばらしい。じーんとしていたら、母が口ずさむのが聞こえました。血を感じます。

あと20年早く産まれていたら青春真っ盛りをフォークと共に過ごし、ちいさな畳の部屋で頭に綺麗な鳥の羽が付いたバンドを巻いたりなんかして髪が肩まである恋人を探していたに違いありません。髪はもちろんセンターパーツで腰まで伸ばします。そして20代で竹の子族にはまります。何年前に産まれていても間違いなく何かにヲタ魂をぶつけていたであろうことは確実です。

ちなみに母は田舎に住んでいたのであまり弾けていなかったようですが、前髪を後浦なつみの如くカットして赤く染めた写真があるのを知っています。デスティニー。

日記記録、未来。他 日々のインプット等。