カウントダウン前にエタカにログインした。 年が明けると「あけましておめでとうございます」と、サポートからのアナウンスが流れた。 去年もエタカで年を越した。 去年はイベントモンスターの羊が出ていた。 「エターナルカオス2003」と大きく画面に表示されていた。 でも、今年はアナウンスだけ。 年が明けた後で、エタカ教授からのお年玉として「獲得ゴールド2倍」イベントが1月の4日まで行われるとの事だった。 ラグラミアには「怒りの鋼鉄龍」などのモンスターが発生した。
もし、そういう事実がなかったらと考えてみた。 その事実を聞いて、もしそれがなかったらと色々楽しい事が浮かんできたけど、それは何かに邪魔される事によってどんどんありえもしない楽しい事が浮かんできただけで、とても現実的なものとは思えない。 実際それがなくても、俺には現実的に関わっていくような行動力はいっさいないし、その子に釣りあえるほど立派な人間だとも思えない。 ただ、それ以前に聞いた悲惨な話をどう捉えればいいのか分からず切羽詰った感じだったから、その子に言葉をかけてもらう事で事実は事実と自分の中でそんな現実があるんだと諦めて、それからの人生を送っていけるかもしれないと考えていた。 聞いてしまった以上そんな現実は存在しない、と自分の中で否定し続けるのも苦しかったし、諦める事で楽になれそうな気がしていたのかもしれない。 本当に、一つの物事について自分一人の考え方でも何面もの捉え方が同時に存在するんだな。
そういえば、今までの人生俺のやる事なす事考えること、殆ど家族や周りに否定され続けてきたな。 昔はまだ、今と比べると色んな物に興味を持っていたように思う。 でも、何かにハマると「しょうもない」「くだらない」「そんな事より」と否定の言葉を投げかけられる。 「お前のやる事なす事全てが気にくわん」とも言われていた。 不条理なものや自分勝手な言い分に反発すると「お前は頭がおかしいんだ」と否定されたり「何を言っているのか分からない」と誤魔化されたり。 納得できずに反発する事が多かったせいか、精神科の病院に連れて行かれた事もあったが、特におかしいところはなかったらしい。当たり前だ。 自分に不都合なものを全部「おかしい」扱いして、俺自身に自分がおかしいと思わせるために連れて行かれたようなものだ。 何か目標を持っても、それを話すと「阿呆か」「何考えてんの?」と言われとりあってもらえない。 学校を卒業してアルバムを貰い、それを眺めていると「何思い出に浸っとんじゃ」と馬鹿にされる。 何かを目標にする事や何かに浸る事は、どこか恥ずべき事のように感じられた。 だからか、くだらない優越感に浸っているような奴らを見ると、とても惨めな生き物に思えたりする。 何をするにも否定されてきたせいか、本当に自分がどうでもよくてくだらない人間に思え、自信を持つ事ができなくなる。 しかし、何かを否定する事には、確かな自信を持っている。 誰かを否定する時、優越ではないけど「くだらない奴だ」と、どこか怒りのようなものを感じる事が多い。 自分自身がくだらなく思えるせいか、当然周りの人間もくだらないモノに見える。 くだらない事に興味を持ち、くだらない物に喜び、くだらない自信を持った生き物。 独りよがりな悦に入ってるような奴はしょーもない奴だと否定してやる。 集団で調子に乗ってるような奴らの持っている連帯感のようなものも本当にくだらないと感じる。 重大だと思える出来事について考える時、自分の考えに自信が持てなくなる事が多い。 ある特定の雰囲気を持つ少年に興味を持つようになってから、その存在はとても綺麗でくだらないモノには見えなくなった。 そういう子が持っている感情なら自分の中で肯定できたし、そういう子が興味を持つことなら自分の中で「よし」と思えた。 そういう子の言動なら、否定する感情も沸かずに何も考えず言葉そのまま受け入れたりする事ができた。 そんな子が、独りよがりな優越を持っているのを目にすると「こんな子でもそういう感情持ったりするんだ」と可愛らしく見えたりした。 だから、そういう子の考えを通して自分の中で「よし」と思えたり、そういう子を通して色々なモノを「くだらなくない」と感じて楽しんだり、そういう事も望んでたような気がする。 色々考えてみたので少し自己分析。
もう2004年か。 今書いた文章を読み直している時、2004と表示されていたので少し驚いた。
お雑煮を食べてから眠りにつき、午後2時ころに目が覚めた。 初夢は母親とマンションの廊下のようなところを歩いている夢だった。 目が覚めた頃には親は田舎に出かけていて、俺と弟だけになっていた。 弟の友達が何人も来て、マージャンをやっていた。 今日は殆ど何も考える事なくMXをやっていた。 なんだか凄く虚しい気分だ。
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