| シロクマ日和 |
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[ 祖父。 ] 虎ノ門のお笑いスペシャルを見ていた。 明日はオープンキャンパスで5時起きなのに3時ぐらいまで見ていた。 カリカに笑ってた。面白い人の方、髪型かっこよくなってて笑った。 今日に限って起きていた訳じゃ、ない。 金曜の夜は大抵こんな感じでこの時間は眠いのに寝るのがめんどくさくてダラダラしている。 祖父が死んだ。 自宅の電話は基本的に無視をきめこむ私だけれど、 今晩の電話は母も出ないししつこいし、ご近所にうるさいし コントのネタが聞こえないので、 飲み会の父の帰りは明日だとかいう連絡だと思ったけれど出た。 叔母は怒ると気狂いだと言われているけれど(笑) 気ぃ使いでもあった。いつも気を使ってくれた。 だから電話はいつも落ち込んでいるような反省しているような声だった。 ありがとうの前後にいつも「ごめんね」を言われた。 だからいつもと同じだった。 でも、だからいつも電話を受けると少しは思った。 「うん、おじいちゃんが今死んだ」 私はいつも夜更かしをしているから、 いつも聞く。今回が二回目で、私の知り合いが死ぬのも二回目だ。 長男と長女がかけてくる決まりみたいだ。 いい大人が、「死んだ」と言うのは子供みたいだと思いながら聞いた。 でも、「亡くなった」なんてきっと言葉じゃない。 私は老衰なのかどうか、と初めに思った。 よく分からないけれど、老衰だと言われたらほっとする気がする。 けれど聞かない。 血が逆流したんだと思う、と叔母は言った。 救急車を呼んだけれど、その五分の間に死んでしまったよ、と言った。 「白くなっていた」 私はまた今回も何て言っていいのか分からなかった。 何か言わないとと思うのに、「あー。うーん」。 また「ご愁傷様でした」というのを忘れた。 優秀な言葉だと思う。強制や感想が全く無い。 でも何だかとても残酷な言葉に聞こえて言えない。 「死にましたね」と言う様な気がする。 死んだときによく言う言葉だからだ。 沈黙している間、「あー」と言っている時も、 何を言おうかと考えることは放棄していた。 自分は今何を考えているということを思っていた。 考えていたことは、 叔母の言葉を一文字や訛りも含めて忘れないでいようということ。 吐息や声の上ずりも出来れば聞こうということ。 父に母に正しく伝えるためにと、それから 祖父の死は私にとってはこの報告そのものだからだ。 叔母の声は祖父の死の間接的な声で 最後の言葉を聞き取ろうと遺族が必死に耳を傾けるのと 今思えば同じ感覚だった。絶対忘れないように。 そして日記を立ち上げた。 多分つまんないけど、ごめん。私用だ。 数学を解くときにリンゴを思い浮かべないように、 電話の時には祖父のことは思い浮かべなかった。 父親が死んでしまった叔母のことと、それは父もそうでまだ知らないことと、それは自分の祖父でもあることを思った。 今思うと、祖母はどうしているだろう。 でもとにかく、報告と連絡をした後真っ先に思い出したのは、 結婚式で「一緒にドロンしよう」と祖父が誘ってきたことだ。 それから夏、屋久島に行く時に寄ろうと思っていたこと。 ほんとにもうすぐだった。それが惜しいのかはよく分からない。 そんなに天数はずれたりはしないのかもしれない。 その時に顔の写真を撮らせてもらおうと思っていた。 実にいい顔なのです。シワのあるピカソみたいだ。 そして今でも故人を撮ったら怒られるかしらと考えている。 でも本当は撮りたい。今からでも撮りたい。 よくわかんないけど、そうして繋ぎとめたい思いが止まらない。 もしかしたら歪んだ愛情表現かもしれないけど 友人とか親にはそうしたいとは思わないけれど 祖父の何かを私は確かに引き継がないといけない気がする なんだとにかくああでも生きてる時のがよかった そんなこんなで今日から九州に行きます 涙は出ませんでした。出ないと言うか、 鼻のあたりが足が痺れて麻痺しているような感じだった。 でもこんなに動揺というか影響を受けていることは 自分でも少し驚きだ。寝て起きたらすごくクリアになって 悲しくなりそうで怖い。 今は寝てないので多分アホなんだと思います。 アホのまま動揺しているから、多分あまり分かってない。 2002年07月13日(土) |
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