| 2002年11月01日(金) |
それが学校現場での指導なの? |
絹江の通う中学校の文化祭は昨日終わった。
ちょっとしたハプニングがあったらしい。
合唱の出番を待つ絹江のクラス。
その直前に歌っているクラスの女生徒の一人が合唱中に突如倒れたらしい・・・
女生徒(以下彼女)は、貧血で倒れたそうだ。
しかも初めてではなかった。
ただ、倒れ方が崩れるようにではなく、立ったまま前のめりにそのまま倒れたらしい。
幸い大事には至らなかったらしいのだが・・・ (顎を強打したらしい)
この出来事に対する事前の指導が気に入らない!
歌の途中で倒れているにもかかわらず、
他の生徒たちは何事も無かったように歌い続けていたそうな。�堯福陰Α院叩叩�
何人かの先生が彼女をその場から運び出し、保健室に連れていったそうな。
これっておかしくない?
彼女は以前にも貧血で倒れた事が何度かあるらしく、今回が初めてではない。
彼女以外にも貧血で倒れる生徒が日頃からいたらしい。
要は、日常的に倒れる生徒がいるから先生の指導も要領が良くなる(と言うべきなのか・・・)みたいだ。
この日に備えて練習を積んできた生徒たちの発表の場である事を考えたのかどうかは判らないが、
「発表中に(舞台の上で)倒れる生徒が出ても、決して演目を中止しないように!」 (直接は聞いてないのだが内容はこうらしい)
良く出来た生徒たちのようで、何事も無かったように歌いきったそうな・・・
生徒が動揺したり騒いだりすれば、父兄も含めて一騒動になるだろう。
しかしだ!
倒れた彼女が必ずしもいつもと同じ貧血とは限らないし、
倒れ方によっては打ち所が悪い事もある。
何時、何処で、何が起こるか判らないのが事故であり、病気なのだ。
そういう緊急事態に、倒れた彼女を無視するように(気にも止めず)、無関心を装うような指導に疑問を感じるのはワイだけだろうか?
公共の場で見知らぬ誰かが倒れても、
日頃から無関心を強要され続けられ、
それに慣れてしまった人は、
やはり無視するのではないだろうか?
習慣というものに侵されてしまった人は 無関心でいるのではないだろうか?
困っている人を助けたり、
緊急時には救急車を呼んだり、
その場にあった対処をできるような指導をしてもらいたいのだが・・・
環境によって人は大きく成長し、左右され、性格も形成される。
様々な事を経験し、身につけていくからこそ、
大事が起こった時には「大事」だと感じる事が必要だと思うのだが・・・
今の先生たちは昔の先生とはかなり違う。
「聖職」 既に死語となっているのを、素直にうなずける事が非常に悲しく残念だ・・・
|