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2003年09月06日(土) バカの壁

 養老猛さんがいまNHK教育で喋っています。
 バカの壁について。
 爆発的なヒットですね「バカの壁」
 永六輔さんの「大往生」以来のヒットとか。
 眼から鱗の話ですよね。
 って、俺はまだ読んでないんですけどね。
 書評を読んで、なるほどぉと思う面と、ん?と思う面があって、いまだに読んでないんですけどね。
 流行が去ったら読んでみようと思ってます。

 ところで、NHK教育で養老さんが言いました。
 「生まれてこないで下さい。死なないで下さい。」
 これって、すごい言葉ですね。
 もちろんこの言葉は、養老さんからのアイロニーですよ。
 生きること、そして死ぬこと。これは人間にとってはどちらも避けて通れないこと。
 これを避けて生きていることは(日々生活していることは)如何なものか?
 こんな言葉を編み出せるなんて、さすが学者だぁ。

 俺はボランティアで骨髄バンクをライフワークとしています。(数年前には、実際に骨髄液を提供するドナーにもなりました)
 いや、ライフワークではなくなる日が早く来ることを願いつつ、自分に出来ることをやらせてもらってます。
 血液疾患の原因が解明され、然るべき簡便な治療法が確立することを祈りつつね。
 ですが、どうしても「献体」にだけは踏み込めないでいます。
 自分が没したあと、その肉体を医学の発展のために、医学生の実になる活きた教材のために供するのが献体です。

 俺の知り合いにこの献体をした方がいます。
 医学のために供されたその体は、2年後に遺骨となり奥様の元に帰って来ました。
 この崇高な死に様。
 俺の持ち得るボキャブラリーでは表現しきれないけれど、これこそ「絶対な死」だと俺は考えています。
 肉体が生きている以上、「絶対」は有り得ません。絶対なんてものは有り得ない。
 でも。
 肉体の最期をこんな形で晒せるのは、絶対で生きたからなんだろうなぁと思うのです。
 だって、適当に生きていては、献体しようなんて考え付かないし、自分は何なの?と思っているから、最期まで何なのかを知りたいのだと思う。

 だから。
 俺が献体に躊躇するのは、しっかり生きようとしていないからなのかなぁと思うのです。
 明日のことは分からないけれど、とりあえず、ひとまず、明日まで考えさせて下さいと思ってしまう俺はまだまだいい加減なんでしょうね。

 すごく、今の自分が不安なんです。





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