828 ニッキ



2005年10月26日(水) 暁の寺

通勤のお供である三島由紀夫「豊饒の海」シリーズの第一部「春の雪」を読み終わって、
第二部「奔馬」に読み進んだのは最近のこと。
折りしも、先日のクマの会の日にはけいけいも「春の雪」を読んでいることが判り、
その話でちょっと盛り上がりました。恋愛要素もある「春の雪」に比べて”武”の話が多い
「奔馬」はページが重いから!なんて、いっちょ前に力説したものの、あっという間に読んじゃった。
そして、そのまま第三部「暁の寺」へ進みましたですよ。
ほとんど何の前知識もなく、豊饒の海シリーズを読んでいますが
「暁の寺」ってバンコクに実在する寺院ワット・アルンのことなんだね!
明日からバンコクに旅立つワタクシ、なんだか微妙に興奮しましたですよ。

日は対岸の暁の寺のかなたへ沈んでいた。しかし、巨大な夕暁は、ニ三の高塔を影絵に縁取るほかは、トンブリの密林の平たい景観の上の、広大な空を思うさま鷲づかみにしていた。密林の縁はこのとき光りを綿のように内に含んで、まことのエメラルドの色になった。サン板はゆきかい、鴉は夥しく、川水は汚れた薔薇いろに滞んでいた。

これが日没の暁の寺の描写。

 それは暁の寺へゆくにはもっとも好もしい正に日の出の刻限だった。あたりはまだ仄暗く、塔の尖端だけが光りを享けていた。ゆくてのトンブリの密林は引き裂くような鳥の叫喚に充ちていた。

 メナムの対岸から射し初めた暁の光りを、その百千の小さな鏡面になってすばやくとらえ、巨大な螺鈿細工はかしましく輝きだした。
 この塔は永きに亘って、色彩を以ってする暁鐘の役割を果たしてきたのだった。鳴りひびいて暁に応える色彩。それは、暁と同等の力、同等の重み、同等の破裂感を持つように造られたのだった。
 メナム河の赤土色に映った凄い代赭色の朝暁の中に、その塔はかがやく投影を落して、又今日も来るものうい炎暑の一日の予兆を揺らした。・・・・・・


そしてこれが、日の出の暁の寺の描写。

恐ろしく綺麗だ。猛烈に見てみたい。
なんかさ、すごく勝手な思い込みだと思うけれど、出発の前の日にこの文章と出会うなんて運命?
そう思いたくなるくらい私の中にすっぽりハマったわけですよ。
ただの偶然だと言えば偶然だし、この文章に何の魅力も感じない人もいると思うけどね。
強くて美しくて、凛とした綺麗なコトバであり、表現だと私は感じました。
他にもワット・プラケオの事も、ワット・ポーの事も描かれていました。
私はガイドブックの1冊も買わなかったけれど、
これらの表現はどんなガイドブックよりステキな紹介だと思うよ。

夜中、荷造りをしながらTVをつけていたら
キャメロン・ディアス主演の映画クリスティーナの好きなコトをやっていました。
これが、意外におバカでキュートな映画だった。キャメロン・ディアス、すごいかわいいネ。
結局、最後まで観てしまいました。
ま、出発は明日の夕方遅い時間なので、大丈夫でしょう。

ということで、いざ、天使都へ!


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みっきー
ひとことお願いしまふ。


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