Diary




2001年08月11日(土)

やっぱこの日に書いた日記は全部消します。

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 で、違うこと書き直そう。
 ただ今は、もう11日じゃなくて、日付が変わって1時間くらいたったころ。
 風呂上がりである。久々にゆっくり湯船に浸かってお風呂入った。(一人暮らし部屋はユニットバスだから。)
 アルコールの薄いサワーなど飲みながら。


 そうだなぁ。
 自分が女であるということは、愛おしくもあり煩わしくもあるよ。
 意識、精神、思考、などそんな感じのものは、やはりどうしたって肉体という言ってみれば「物質」の上で展開されるものである。
 物質の上で展開されるもの、思考、しかしそれは物質から離れていこうとしていくよね。
 でも、私の思考は私の肉体の上にしかないからどんなに高いところに上っていこうとしても体はじゃまをする。
 私という人間の肉体があるから、その中で幾星霜もの化学反応化学刺激が起こり、その結果として精神が存在するのに、精神は肉体を邪魔だと思い、これさえなければもっと高いところ、もっと真なるところへ行けると焦がれる。
 かなしい矛盾ではないか。哀しい、かつ、愛しい。


 からだがあるかぎり何もわからないのだとしたら、そんなもの生きてる間はむしろ真ではないのか。いや、それはちょっと乱暴かなぁ。
 生きてる限り真には一生届かない。
 では、なぜこう真に手を伸ばそうとするのか。千切れそうなくらい、乞うて乞うて手を伸ばそうとするのか。
 あるかどうかも定かならぬもの、なぜ方向がわかる?どうしてそう手を伸ばす?その先に何があるかは一生わからないんだぞ?


 私が今生きていること、人間として。女として。日々生活していること。
 これは酷く大事であると思う。
 でも、じゃまにもなる。

 あぁぁでもそれら、地に足をつけると言うこと、が、無いような仮定上の世界では、きっといくつかの特殊解しか見つからないだろうなぁ。








 まったく、そんな風に大口叩いて高尚なこと考えてるように見えてもさ、結局私は口先ばっかりだから───

 自分というものが幾重にも多重構造を形成すると言うことを認めてください。甘えかなぁ。私の中ではいろいろな考えが同時に起こる。パイ生地や何かのように、つながり会った多重構造が形成されている。




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