1日雑記

2005年05月21日(土)


指揮者とは評論家なのかもしれない。

と、先日考えていた事にひとつ結論を出してみました。
既に楽譜が存在している中で
指揮者は何を表現しようとしているのかという問に関するもの。

楽譜というのは、作曲家が表現するために作り上げたもの。
そこに既に意味があるとするならば
それを表現する指揮者とは
何をする人なのかと考えたのはいつのことか。

結局考えた末、評論家なんじゃないのかな、と。

絵でも音楽でも詩でも小説でも映画でも。
例えばその作品の一つ一つに
作り手が考えた意味が込められていたとして
それを読み取るのは受け手。
ところが十人十色というように
それぞれ受け取り方が変わってくる。
それが抽象的な作品ならなおさら。

例えばピカソの作品を考えてみればいい。
アレをどう評価するかというのは
まさに人によって変わってくるんじゃなかろうか?

ならば、と。

既に楽譜という形で、伝えたい作品が残されている音楽において
その作品を解釈し、分かりやすい形(演奏)で聴衆に伝える。
伝え方は指揮者によって決められる。
指揮者は楽譜という作品を読み取り
評価を加えた上で「自分はこのように解釈した」と
解釈した形を聴衆に伝えるのではないか。

などと考えてみたのだけれど。

そう考えると指揮者とは評論家になるのではないかって話です。
評論家っていうのは作品を見たうえで
その意味を論じる人達のことなのだから。

……まぁ指揮者の人と話したわけでもないので
実際どうなのかやっぱり分からないんですけどね。


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