人の脳みその容量は決まっている……とは思うが 生きている間に全部を使っていないという話も聞くもので。
さて、本を読んでいて不意に。
同じ作家の本を読んでいたら 何となく内容が似ていた。
だから?とか 当たり前、の一言が出てしまえば終わりだが。
自分脳みそと過去の記憶をこねくり回してみてごらん。 同じ事で悩み、同じ事を延々と考えては居なかったろうか。
同じテーマを別のアプローチから考えなかったろうか。
別に不自然な事でもないし 私なんかは、繰り返し考えることで頭に情報を植え付ける。
しかし、折角容量が余っているのに 同じ事を考えるのは勿体ないとは思わないものか。
Word,Excelのファイルを考える。 ファイルを開いて情報を更新するだけだと ファイルサイズはさほど、変化しない。
が、新規にファイルを作成した場合 それだけで100KB近い容量を使うのではないだろうか。
無駄に容量を使用して良いのであれば、 そう、あなたは適当に作成したファイルを 適当に、デスクトップに保存することは無いか?
脳みその容量というHDDは余っているのだ 新規に作るだけ付くって容量を無駄に使ってみても良いのでは? デフラグだって空き容量が15%あれば問題なく出来るのだから。
……と。 コンピュータが出てきたところで。 人の記憶は、コンピュータに保存されている記憶に勝てるだろうか? 情報の劣化というそれっぽい要因を考えたとしても まぁ、自分の記憶を当てにするなら コンピュータに書いた記憶を当てにする。
世界中の情報量は、ものすごい勢いで増大しているわけだが コレを人の脳に詰め込むとどうなるか。 時間も勿体ないし、保存されている情報を引き出したとき その情報の信頼性が疑わしい。
脳みそには使われていない場所が沢山ありそうだ。 HDDの空き容量のようなイメージであるならば それはHDDに保存すれば良いことだ。
人の脳みそのすごいところは、ひらめくことだ。 気付くことだ。 応用することだ。
気付くこと、ひらめくこと、発見すること、応用すること。 これらは、脳みその容量とどのように結びつくのか? 「青い」、という単語と、「空」を知っているとき 青い+空とくっつけて考えれば青い色をした空だと認識出来る。 どこかの誰かが、青いという単語と、空という単語を くっつけることが出来ると発見したのだろうが さて、この場合脳の容量とはどうなるのか? 形態素として記憶している言葉をくっつけただけだ、 その都度くっつけて考えれば、 「青い空」という一つの単語で覚える必要がない。
そう考えると、脳みそは記憶を司る部位だと思えるわけだが。
何故だろう、もっと脳は、新しいことを見つけるときに 活性化しているような気がするのである。
それこそが容量であり、 記憶はまた、別のところに存在しているような。
何かに、気付きそうなのだが 何かはっきりしない。
まぁ、人の脳を記憶などという、 HDDで代替出来そうな用途に使うのではなく 気付くことに使えれば素晴らしいと思うわけである。
ところで私は都道府県の位置がさっぱり分からない人間である。
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