1日雑記

2008年11月02日(日)

人の脳みその容量は決まっている……とは思うが
生きている間に全部を使っていないという話も聞くもので。

さて、本を読んでいて不意に。

同じ作家の本を読んでいたら
何となく内容が似ていた。

だから?とか
当たり前、の一言が出てしまえば終わりだが。

自分脳みそと過去の記憶をこねくり回してみてごらん。
同じ事で悩み、同じ事を延々と考えては居なかったろうか。

同じテーマを別のアプローチから考えなかったろうか。

別に不自然な事でもないし
私なんかは、繰り返し考えることで頭に情報を植え付ける。

しかし、折角容量が余っているのに
同じ事を考えるのは勿体ないとは思わないものか。

Word,Excelのファイルを考える。
ファイルを開いて情報を更新するだけだと
ファイルサイズはさほど、変化しない。

が、新規にファイルを作成した場合
それだけで100KB近い容量を使うのではないだろうか。

無駄に容量を使用して良いのであれば、
そう、あなたは適当に作成したファイルを
適当に、デスクトップに保存することは無いか?

脳みその容量というHDDは余っているのだ
新規に作るだけ付くって容量を無駄に使ってみても良いのでは?
デフラグだって空き容量が15%あれば問題なく出来るのだから。


……と。
コンピュータが出てきたところで。
人の記憶は、コンピュータに保存されている記憶に勝てるだろうか?
情報の劣化というそれっぽい要因を考えたとしても
まぁ、自分の記憶を当てにするなら
コンピュータに書いた記憶を当てにする。

世界中の情報量は、ものすごい勢いで増大しているわけだが
コレを人の脳に詰め込むとどうなるか。
時間も勿体ないし、保存されている情報を引き出したとき
その情報の信頼性が疑わしい。

脳みそには使われていない場所が沢山ありそうだ。
HDDの空き容量のようなイメージであるならば
それはHDDに保存すれば良いことだ。

人の脳みそのすごいところは、ひらめくことだ。
気付くことだ。
応用することだ。

気付くこと、ひらめくこと、発見すること、応用すること。
これらは、脳みその容量とどのように結びつくのか?
「青い」、という単語と、「空」を知っているとき
青い+空とくっつけて考えれば青い色をした空だと認識出来る。
どこかの誰かが、青いという単語と、空という単語を
くっつけることが出来ると発見したのだろうが
さて、この場合脳の容量とはどうなるのか?
形態素として記憶している言葉をくっつけただけだ、
その都度くっつけて考えれば、
「青い空」という一つの単語で覚える必要がない。

そう考えると、脳みそは記憶を司る部位だと思えるわけだが。

何故だろう、もっと脳は、新しいことを見つけるときに
活性化しているような気がするのである。

それこそが容量であり、
記憶はまた、別のところに存在しているような。

何かに、気付きそうなのだが
何かはっきりしない。

まぁ、人の脳を記憶などという、
HDDで代替出来そうな用途に使うのではなく
気付くことに使えれば素晴らしいと思うわけである。

ところで私は都道府県の位置がさっぱり分からない人間である。


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