インターネットにおける言論の違和感……とか。
ネットの掲示板を見ていると 話の内容に時々違和感を覚える。 はっきりとしたものではなく、漠然とした。
ネットの掲示板では、相手の顔を見ることができない。 相手は子供かもしれないし、老人かもしれない。 匿名の場合、それは当然である。
日常で、人と話すとき 私は相手の年齢を、無意識ながらも考慮する。 年上(先輩)であれば年上の人として、 同年代(同期)ならば同年代の人として 年下(後輩)ならば年下として。
例えば年上であれば、基本的に目上の人として接するし 子供に大人と同じような接し方はしない。
ネットの掲示板ではどうなるか。 私は書き込みをほとんどしないが、 書かれている内容を読むときに 無意識のうち、相手を自分と同じだと考える。 年上でもなく、年下でもなく、同年代として受け入れる。
相手が見えない以上、意識しても仕方がないし 短い文章から年齢を推測するのは難しいし 推測以上の何かにもならない。
私の言う経験とは、 つまり誰かを見て成長したということで それは大人であったり先輩であったり、と。 最近じゃ、数ある意見の中で 皆が肯定する意見がどういうもので その中で自分の意見の立ち位置はどうなっているのか見直して。
そういう意味で、私が急にネバーランドにずっと住む事になったら やがて今までの価値観は瓦解し 新しい価値観(子供にとっての理想)を 成長と語る大人になるだろう。
民主主義じゃなくても 多数の意見が肯定されるのは、良くある話だ。
ネットの中の住人が、ネバーランドの住人だったらどうしよう?
相手の意見が正しいかどうか 基本的に相手を見て判断している。
少なくとも今の日本で生きて行くには 今まで日本で生きていた先人達に学ぶのが一番だ。 だから年上を敬う事が多いし 経験を積むとはそういう人にならう事であり その中で自分の立ち位置を判断する。
自分と同じだと思っていた相手がネバーランドの住人なら 自分の意見も、そっち側に傾くか。
ネットの言論の中に身を置くと ともすればネバーランドの住人として経験を積むのではないか、 上手く言葉にできないけれど、そんな違和感。
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