1日雑記

2009年07月03日(金)

言論の自由という表現を見かけるが
改めて考えると、これはどうなのだろう。

言論が統制されるべきと言うのではなく
本質的に、言論とは自由なのではなく平等であるべきなのだ。

自由とはつまり強者と弱者の差が絶対的であり
弱者が強者に勝ることは滅多にない。
情報社会といわれる現代に至っては
金銭以上に言論における貧富の差が激しいはずである。

単純に、テレビ、マスコミとスポンサーの関係を考えれば
金という力を持たない限り、弱者は発信することさえできない。

自由と平等にどの程度の違いがあるのか
言葉の定義は様々あるだろうが
法治国家の元にあって、自由の定義には悩まされる。

「法に縛られる=自由ではない」

こんな方程式が成り立つからだと思われるが
例えば自由を平等という言葉に変えれば
この方程式が途端に違和感にあふれたものになる。

要するに法による規制と、言論の平等は矛盾せず
共存することが可能だと思われるのだ。

問題は、いかに平等に発言できる環境をつくるか、
そしてその意見を統計するか……なのだが。
各々、生活環境や立場によって発言できないことも多いわけで……。


少なくとも、自由である現状は
少数であっても力のある人間の方が強く発信できる環境だ。
法の元に平等であり、民主主義国家においては
むしろ自由ではなく、公平に発信の機会を得るべきだと考える。


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