ロボット工学三原則に鉄腕アトム。 あるいはドラえもん。 ロボットの生存権に関しての話はSFにおいてわりとメジャー。 フランケンシュタインの怪物でもいいけれど。 ロボットが生きているか否かみたいな議論は 映画なんかでもよく取り上げられている。
さて。 何でロボットからなんだろう? 2次元(平面)じゃダメなのかな?
ロボットの生命が現実的に描かれるのに対して 文字や絵の生命ってあまり現実的に描かれない気がするのです。 ロボットの命、というか思考が AIというプログラムによって実現されるなら、 そのAIによって「生きているかも」と言われるロボットが居るなら 画面内で動作するAIも「生きているかも」と定義されておかしくない。
実際、そういう話(平面内でのAI)がまったく無いわけでもないが ロボットとかの話に比べるといまいち厚みが無いというか 重要なテーマとして取り上げられることが無いような気がする。
もしくは、AIは前提として考えたとき ロボット作るよりは絵を描くほうが楽でしょ?
つまり、ロボットよりは絵の方が現実味、ありそうじゃない? 仮に生きていると定義されるようなAIが登場したとしてね。
なのに、絵より先にロボットの生存について 真剣に議論されていそうなのはなかなか面白い。
実際に生きていると定義されそうなAIが登場したら ……やっぱりコピーされちゃってあんまり厚みが無いのかな。 ミッキーマウスくらい、 一人しか登場しないってプログラムならいいかもね。
|