No Problem

2003年01月27日(月) 永久就職

 今日の日経に、大学生の就職人気ランキングが載っていた。
1位 ソニー 2位 JTB 3位 トヨタ
100位まであったが、もちろん我が業界の会社は1社もランクインしていない。
商品が一般消費者向けではないので、知名度がまったくないからなぁ。
 息子にうちの会社の名前を言って「うちは入ってないね〜。」と言ったら、2年生のくせに「ぷ」っと笑いやがった。
「でも、あと何年かしたらきっと入るよ。パパの会社。」と冗談で言ったのだが、もしかして本当にそんな日がくるかも、なんてマジでちらっと思ってしまう、あたしの夫は仕事のできる人です。
あ、仕事はできるけど、仕事を効率よくはできない。(笑)

 あたしが新卒で入社したところが50位台に入っていた。
バブルだったんだなぁ・・・・・。目も当てられない成績で入社できたとは。
やっぱり、容姿かしら。うふぷ。

 高校生の時に一番なりたかったのは、ツアー・コンダクターだった。観光地に生まれ育ったので、昔から旅行、観光業には親しみを持っていたし、自分には向いてるかも、と思っていた。大学の時は、出版業界に興味があった。
 でも、夫と結婚すると決めていたので、(必然的に夫の会社を手伝うことになるし、必然的に熊本に行くことになるので)就職!あたしの将来やりたいこととは?!みたいな真剣な気持ちはなかった。

 それから夫と別れた時期があって、そこで初めてはたと考えたのだ。
これから、一生ひとりで生きていくんだから、自分の仕事を見つけないと、と。
 失恋の傷心を癒すため(笑)、ニューカレドニアに一人旅した時に、現地のコンダクターに食事に誘われた。(あれはナンパだったんだろうか?でも食事だけでなにも言われなかったぞ。一人旅だから自殺でもされちゃ困ると思って探りを入れられたんだろうか?)
 いろいろ話していて、「こういうお仕事もいいですね。」と言ったあたしに「あなたの性格は向いていると思いますよ。」と言われたのだ。
 単にお愛想だったんだろうけど、夫と一緒に生きられないのなら、誰も知らない海外で、こんな風に暮らすのもいいなあ、なんて考えたりもした。

 そして、2、3年京都の叔母のところでふらふらしていたのだが、ずっとその人に言われた言葉は心にひっかかっていた。ある日、大阪にあるJTBの子会社でカウンター業務募集の広告を見つけ、応募したところ、そこに採用されることとなった。
 実家の母に告げたところ、大反対。母としては、叔母の店の板前さんかなんかと結婚でもして、店でも持って・・・なんて事を考えていたのかもしれない。または、もしかして、叔母に誰か紹介してもらって見合いでも・・・なんて。
 とにかく、大阪で1人で働くなんて絶対許しません、だったら家に帰ってきなさい、とすごい剣幕で言われたのだ。
 旅行会社の担当の人も、何度も何度も会って、ぜひ入社して欲しいと引き止めてくれる。梅田からなんども来てくれた。悪かったなぁ。(やっぱり向いてるのか?)
 こうなると、板ばさみで、もうどうしていいかわからない。

 困ったあたしは夫に相談して、それをきっかけに(なのかな?)あれよあれよと夫との結婚話が決まり、現在に至るのだが。
多分あたしのことだから「田舎に帰って見合いで結婚させられる(半分嘘半分本当)」とでも言ったんだろう。

 新聞の、人事担当者から学生に向けての熱いメッセージを読みながら、そんなことをつらつらと考えた。
 あの時、夫がプロポーズしてくれなかったら、あたしは今どこで何をしているんだろう。
 旅行業界ではつらつと働いているだろうか。
 祇園でクラブのママとかなってたりして。
 田舎で結婚して普通の主婦とか。

 でも、どんな仕事をしていようが、あたしの隣りには夫がいてくれないとだめだ。(今は息子も)
たとえレコード大賞もらうような歌姫になっても、夫と一緒に喜びをわかちあえなければ、なんの価値もないだろう。
 逆に、夫と一緒なら屋台引いてたってケンカしながらも毎日楽しいだろう。
いろいろあったけど、永久就職(死語?)大成功ってことで、しみじみ幸せ。
 
 


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