銀色の日記
モクジイク?モドル?ススム?


2003年11月25日(火) 外猫談義

最近のウチの話題は「外猫」に関することが多い。
相方のHPのBBSでも少し話題になっているようだが。

外猫ちゃんたちの話になると相方とワタシではちょっと考え方が違うので、かなり白熱してしまう。
これはもう猫に対する「感覚」の違いでしかないように思う。
どっちが正しいとか、どっちが間違っているとかでもない。

外猫に対する“責任”
「外猫たちが病気になったところで、何もしてやれない。」
それはわかる。
家の中の猫たちが病気になったら、ワタシは絶対に病院に連れて行くだろう。
だけど外猫たちならどうか?
お金に余裕が有れば病院に連れて行く。
実際、今までも拾った猫や通りすがりに見つけた怪我をした猫を何匹も病院に連れて行った。
以前はいつも行っている動物病院で捨て猫の里親を探してくれていた、タダではない。
1匹につき4000円。これは1回の予防注射代。(2回目の予防注射は里親さん負担でということらしい。)
話がそれたが。

では、お金に余裕がなければどうか?
自分たちや家の猫たちの食費や生活費を削ってまで外猫たちを病院に連れて行くだろうか?
実際、今ギリギリの生活をしてるから外猫の中に病気らしき子はいるが病院には連れて行けない。
せめて餌をあげたい。
“せめて・・・”これは偽善だろうか?
人間のエゴの上に成り立つものなんだろうか?
自己満足かもしれない。

これはとても難しい問題だと思う。
例えば、源造の場合。
里親探しの会の時に、元の飼い主に「この子、貰い手がつかなかったらどうするんですか?」と聞いてみた。
飼い主の方は「知り合いの牧場にいっぱい猫が居るから、そこに仲間に入れてもらう」と言った。
ワタシは考えた。
どっちが幸せだろう?
広々とした牧場でノビノビと暮らす。
でも病気になってもほったらかしだろう。餌も足りるかどうかわからない。
反面、ワタシの家に来たら世話は出来るだろうが(十分かどうかは猫に聞いてみないとわからないが)、限られた狭い部屋の中で窮屈かもしれない。
どっちが・・・?
可愛かったから貰った。これはワタシの自己満足であり、エゴである。
源造と一緒に暮らしたかった。ただそれだけのこと。
源造にとったら余計なお世話だったかもしれない。

外猫も近所迷惑なのもわかっている。
糞や尿も確かに臭いだろう。(ワタシは慣れてしまっているのかそれほど感じないが)
一番いいのは里親さんを探すこと。
この点は相方と意見が一致している。
今庭に居る子猫たちは毎日の餌やりが功を奏してか何とか触れるようになっている。
多分、餌で釣れば簡単に捕まえることは出来るだろう。
(まずシャンプーしなければ・・・。)

外猫たちのことは本当に難しいことなんだと思う。
少し前に近所の駅で外猫の親子を見つけた。
ワタシは餌をあげたかったが、相方はダメだと言った。
(多分ワタシ一人ならあげていた)
餌をあげるワタシはあげたら自己満足できるだろうが、これは近所迷惑なことだろう。
共生する意志のない人たち・その近所に住む人たちにとったら、ワタシの行動はただの“迷惑行為”なのだ。
時々コンビニの前に野良ちゃんが居る。
店の人にわからないように缶詰をあげる。(そのコンビニで買うのだからバレバレだろうが)
これも店の人にとったら迷惑な話だろう。
でも、店の前でずっと待っている(ワタシを待っているわけではないのだが)猫を見ると餌をあげずにはいられない。

実家に居着いた外猫。
小太郎とチビがまだ実家にいた頃から一緒に餌をあげていた。
今は前ほど頻繁にではないが、3日置きくらいに実家に行って餌を入れる。
1日行くのが延びると心配でたまらない。
いつも一緒の子が居るわけではない。
メンバーチェンジはたびたびあるし、かなり前に来ていた子がひょっこり帰ってきたりもする。
これもウチの課題。
この餌やりを続けるかどうか。
でも、これはお願い。これは続けさせて欲しい。
ワタシのお小遣いで餌を買うし、一人で行ってもいい。
でも。これも“でも”がつきまとう。
いつまでも実家を借りていられるわけではない。
今は母のために誰も住んでいなくても借りたままにしているが、もし母が居なくなったら?
もしワタシが動けなくなったら?
ワタシも歳をとる。
その時はどうする?
“せめてそれまで餌をあげたい”
また“せめて・・・”だ。
やはり自己満足と偽善がつきまとうのだろうか?

世の中には「猫オバサン」という人たちがいる。
公園や近所に住み着いた猫たちに餌をあげている。
動物が嫌いな人たちにしてみたら、それは迷惑なこと。
だけど。餌をあげないようにすれば済む問題でもない。


「絶対にコレが正しい」という答えがないから、本当に難しい問題なんだとつくづく思う。
かと言って「感覚の違い」だけで片づく問題でもない。

今年地元に出来たばかりの「動物愛護センター」
猫や犬を収容してくれるらしいが、貰い手がつかないと処分されるらしい。
「動物愛護センター」の皮を被った「保健所」ではないか。
だけど、誰がそれを責められよう。
収容にも限りがある・・・。
ただ、そこに連れてこられた動物たちに選択の余地はないのだ。
こんなことなら野良で良かった・・・それさえも選べないのだ。
毎月何回か「里親探しの会」をしているらしいから、それは利用させて貰おうと思う。
「動物愛護センター」が出来た時はすごい喜んだが、真実を知った今となっては動物愛護センターのあり方を疑問に思う。
“保健所”ではバツが悪い(良心が痛む?)人たちの格好の隠れ蓑となったように思う。


このことについては本当にたくさん書きたいことはあるし、答えがないだけに話は尽きない。
ワタシの言いっぱなしの発言は無責任極まりないかもしれない。
がまた後日言いたい放題書くと思う。


余談だが。
近所迷惑ということなら、近所の蒲鉾屋から時折臭ってくる魚の生臭い匂い、これも迷惑。
隣のオジサンが車で帰ってくるたびクラクションを「ビッ」これも耳障り。
毎晩夜中に車のエンジンをかけっぱなしで、しかもラジオを大音量で聞いている誰か、これも近所迷惑この上ない。
近所迷惑なんて感じる人間によってそこら辺に転がっているものだ。
だから近所迷惑返しをしてもいいということではないが・・・。


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