銀色の日記
モクジイク?モドル?ススム?


2005年09月30日(金) セカチュー

昨日テレビで「世界の中心で、愛をさけぶ」を放送してて、相方もどっぷり爆睡してたし「チャ〜ンス!」と思い観ました。
前日から「これは見せてな」って言ってあったしy(^ー^)y

漫画で読んだ時は全然「な〜んや」って感じだったけど、映画は泣けた(ノ_・、)
脚本がしっかりしてたからかな?
大林監督作品以外で「ラブレター」に続く好きな映画になるかも。
とにかくピュアでした。
主人公の朔くんも亜紀ちゃんも。
そしてまわりの大人達も・・・。

婚約者のリツコを探すはずが、高校の時の想い出の人"亜紀"を探す旅になってしまった朔太郎くん。
亜紀ちゃんの声を録音したテープを聴きながら、想い出が鮮やかに蘇ってきて。
親友からの電話に
「高校の時のこと覚えてる?今、亜紀に会ったよ。どうして忘れてしまうんだろな、あんな大切なものいっぱいあったのに」と泣きながら朔くん。
本当にどうして忘れてしまうんだろう。
大切なもの、純な心。

歳を重ねるたびにズルクなって、適当になって・・・。
大人になるってそういうことなんだろうか?
ワタシにもあった。純粋な心。
なんの計算もなく、ただひたすらに前だけを見てた頃。
一生懸命真っ直ぐ前を見て、欲もなかったからストレスも溜まらなかった。
大人になって色んなコトを覚えて、自分の心を満たしたいと欲も出てきて。
煩悩の犬は追えども去らず・・・。

けど今さらピュアな心は戻らないだろう。
色んなモノを見過ぎたかな。

写真館のじいさんが朔太郎に言ったセリフ
「残された者に出来るのは後かたづけだけだよ」
なんかジーンと来た。
そうだよね。後かたづけしてあげなくては。
"後片づけ"これにはたくさんの意味が込められていると思う。

先日、ブログの方に使おうと昔の尾道の写真を探していたら文太のアルバムがたくさん出てきた。
本来の目的も忘れて次々とページをめくって見入ってしまった。

亡くなってから何年も見ていなかった最後のアルバムも見た。
余命3ヶ月を告げられてから毎日撮った写真。
日に日に痩せていく文太の写真を見てあの頃を思い出した。
そして"不在"の写真。
いつも寝ていたソファ、よく座ってた椅子、使ってたクッション・・・文太がそこに居るはずの写真。

未だに捨てられないでいる文太の居た場所。
後片づけは出来そうで出来ない。
でも、いつかきっと出来る日が来るはず。
死をちゃんと受け入れて、気持ちの後片づけ。
その時が自分を許す時なんだろう。
どうやってても「後悔」はつきまとう。
あの時もっと、ああやってればこうやってれば。
何をしたにしてもそう思うのだろう。

遺されたモノは色んなことを抱え込んで、もう二度と後悔したくないと思いながら生きるけど、それでもやっぱり取り返しの付かないようになってからじゃないと気が付かない。

母のところにももっと行ってあげたいと思った。


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