銀色の日記
モクジイク?モドル?ススム?


2006年03月29日(水) 桜咲く前に

3月25日午後12時15分
母方の叔父が他界しました。
骨髄性白血病、まだ58歳。

20日に従妹から「かなり危ない状態」だとメールをもらい、一瞬考えたが母の病院に電話して次の日、一緒に行くことに。
21日1時に母を迎えに行き外出届を出して徳島市内の病院へ。

病室に入って叔父を見た瞬間目眩がして倒れそうになった。
あまりに変わり果てた姿・・・。


去年の11月頃に泣きそうな声で私に電話をしてきた叔父。
「何も要らんから手ぶらで来ていいから会いに来て。○○ちゃんに会いたいんよ」
何度も何度もそう言ったのに、結局行けなかった。
一昨年の11月に行ったきりだった。


意識朦朧としていたようだったが
「分かる?」と聞くと頷いてくれた。
帰り間際、弱々しくだったが「バイバイ」と手を振ってくれた。
それが最後。

25日の朝、いつものように朝まで仕事して少し眠ろうかとしていた時に電話が鳴った。
「意識がなくなった」
すぐにでも行きたかったが、眠剤を飲んでしまっていたので一眠りしてから行こうと思い少し寝た。
起きたら訃報が入っていた。

日曜がお通夜で月曜が告別式。
水曜の午前中に提出しなければいけない100ページものの仕事を抱えていたので、お通夜も30分ほど顔を出した程度、告別式も出棺を見届けて帰ってきた。
式場まで往復で2時間かかる。近ければもう少し居られたのだけど。

叔父の子供達や、神奈川の叔父・叔母に会うのも何年ぶり。
弟夫婦と会うのは3年ちょっとぶり。
こんな時でないと顔を会わさないのも淋しい限りだが。

一番仲のいい従妹は何年か前に叔父と同じ病気で旦那を亡くしている。
30歳を少し越えたくらいだったと思う。
「旦那と同じだから、辛くて叔父を看に行かれない」と言っていた。
告別式も行かないかもと言っていたが、ちゃんと来ていた。
色々と思い出すこともあったのだろう。
従妹の下の子供はまだ小さいので分からなかったのだろうが、上の子供は父親の時を思い出したのか泣いていた。
従妹も、私も、叔父の子供達も。
みんな早すぎる死に泣いた。

母の面倒をよく見てくれた優しいいい叔父だった。
治療も辛かっただろう。
お疲れ様、叔父さん。
息子は立派に喪主を務めてたよ。
賢い、いい子に育ってたから安心しました。

桜が咲く前・・・。
悲しいことが多すぎます。

告別式の帰り道、車の中で
「従妹のことや、叔父の子供達のこれからのことを思ったら可哀想で泣いてしもた」とワタシが言うと
「ワシは泣きよるアンタが可哀想だった」と相方。
そんなことを言って貰えるワタシは幸せ者だと不謹慎ながら少し安らいだ気持ちになった。

今年ももうすく桜が咲き始めます。


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