transistasis
DiaryINDEXpastwill


2001年01月26日(金) セクハラ

セクハラ
性的嫌がらせを意味するこの言葉。
今やこの言葉ほどシャイで真面目なプライドある男性を差別弾圧する便利な言葉はない。
この言葉によってどれくらいの男性に無実の罪を負わせ、傷付け、社会的信用に泥を塗り、死に追いやったか。

そもそも婦女子が男性のアプローチに対して抗する理由など存在しない。
なぜなら元々人間の雌は生物学的に雄より強い生き物だからである。
出産時の生存率も寿命もすべて雌のほうが優っているのは科学的事実だ。
だから当然、婦女子は男性に対し慈悲深き寛容性で接する事が運命づけられている。それが前提にあってこそ正常な男女関係が成立するのだ。
アプローチしてくる男子に対し寛容性を持って対応することは理性的秩序を守る上の絶対条件でもある。
だからこそ男も婦女子に対し寛容性を発揮できるのだ。
ここにはじめて秩序ある対等な関係が生まれ、女は聖なる母となり、男は誇りある父になる権利を大地から与えられるのである。
婦女子の慈愛なくして契は成らぬ。
「性的いやがらせ」などというものは異常者の妄想に過ぎない。
ところがこの世界を汚れた拝金の世に作り替えようと画策する邪教徒共は、悪魔の囁きでもって婦女子達にパンドラの箱を開けさせ、あらいる厄の元をばらまいた。
「社会的地位における男女平等」などという欺瞞の種をばら蒔き、正しき秩序を根底から破壊し、婦女子から寛容性を奪ったのである。
寛容性のない婦女子はもはや人間ではない。
汚らわしい獣の雌。子宮のない売女だ。
淫猥な姿体で男を欺き、金銭の奴隷と成り果て、物欲と悪意と狡猾さのみで生きようとする悪魔に乗っ取られた化物。
そんな婦女子の仮面を冠った悪魔の使徒が好んで使う言葉がセクハラである。
効果的な肉欲を満たすために男性を選別し、理知的で正しき男性を犯罪者に仕立て、死に至らしめようとするための悪魔の呪文。
邪教徒はセクハラという印篭を濫用しやすくするため、社会システムを改造し数々の悪法を成立させ、正しき男性を窮地に追い込もうと恐るべき策謀を進行させた。
もはや、まともな男性は婦女子に話し掛ける事さえ出来ぬ。婦女子がその男性の社会的地位を失墜させようと思えば簡単だ。一言話し掛けてきたことをセクハラとして訴えればよい。
特にシャイで真面目な男性は女性にアプローチすることが即セクハラとなり、求愛、いや接点を持つ行為すべてが犯罪行為となる。
恋愛の機会は失われ、正しき者たちは結婚も子を設ける事も不可能となる。
絶望に追い込まれた男達の取るべき選択肢は堕落の末の死だ。
一方、汚れた婦女子達は狡猾で野蛮な雄の慰みものになることが幸せと勘違いし、獣と交配する単なる精液便所と化す。生まれた子は邪教徒の養子に奪われ、一生邪教の妾と奴隷として搾取され続けるだろう。
こうして聖なる慈愛溢れた母性は死滅し、野蛮な俗物が支配する汚れた世界が出現する。
これがセクハラという言葉の目指す世界だ。
邪教徒による大和民族抹殺計画の重要な手段のコンテンツがこのセクハラという言葉に秘められている。
セクハラという言葉を多用し、己の社会的地位を高めようとする婦女子には警戒せよ。
その女は悪魔に汚染された危険な存在だ。

セクハラという行為は存在しない。あるのは男を貶める悪意だけだ。
しかと心得よ。


絶望皇太子