ごめんもうじぶんでもなにいってんのかわやくちゃです - 2001年03月25日(日) HPを持ってる人は、大抵そうだと思うけど、皆自分を何かカタチにしたいんじゃないかと思う。 私はそうだ。 言葉が好きで、文章書くのが好きで、それを形にして、誰かに見てもらって、反応をもらうことで、自分を認識しようとしてた。 去年の夏、博物館学芸員の実習をした 頭が腐るくらい、博物館を見て回った。わざわざ東京まで行って。まぁ楽しかったけど。 あと、授業とかで、特別展示の企画案なんかも、何個か出した。 博物館は、モノを見てもらう場だ。 さて、そこには、なにがある? 学芸員の個性はでるのだろうか? 答えは、「出る」だ。 個性や、技術や、センスが物凄く問われる。 でも、展示にとって、重要なのは、学芸員の個性でなくて、展示品の本質を、ギャラリーに理解してもらうこと。 実は、私はここを誤解していた節があったりした気がする。 見る人が、解らなくては、展示、または作品というものはただの自己満足だ。 これは、なんにでもいえること。 高校時代、文化祭で文学部の展示発表をしたとき、コレに気づかず、大失敗をした。 自分たちが頑張ったという、過程しか見えず、勿論お客さんに受けるはずがなかった。 (次の年は、経験を活かして大盛況だったけどね) それで何が言いたかったというと、自分だけを見つめつづけるというのは、今の学生身分の私だから許される、ある意味特権なんだろう。 社会に出たら、行動一つ取っても、それはもう自分ひとりの世界ではいられない。 常に誰か何かとリンクしている。 人の目を気にした仕事をし、行動が取れることも、社会人のルールなのかもしれない ...
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