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キース・ジャレットとグレン・グールド - 2003年08月11日(月) BBSの方にしましま改めサマンサさんが熱心な質問を寄せてくれている。 そこでのレスではとても長くなりそうなので、ここで書いてしまうことにした。 キース・ジャレット。 知ってますよ。 偉大なジャズ・ミュージシャン。 そんなに詳しく知っているわけではないけど、 キースといえばそれはそれは… 私なんかのイメージでいけば「孤高」のジャズ・ピアニストかな? サマンサの言うとおり、まず音が素晴らしい。 あんな抜けるように、どこまでも澄んだ青空のように透明で柔軟。 クラシックでも、というかああいう純粋無垢な音はクラシックのピアニストでも聴いたことのない、独特な音だ。 ポリーニのかっちりした透明な音ともまた違う。 私はキースのライヴは一度しか聴いたことないけど(スタンダード・トリオでのライヴ) あれは忘れがたい! 音もそうだけど、あんなに澄んだジャズがあるのか! アクの強い、汗を飛び散らせて、ってのとは一線を画していた。 だからある種のジャズ・ファンからは 「キースの素晴らしさはわかるけど、ちょっと自分の趣味とは違う。」 なんて何人かの友達から聞いたこともある。 聴いたことない人には一度オススメしたいですな。 できればもちろんライヴで。 CDでもいいし。 彼はそういう「音」を持ってクラシックのレパートリーも結構持っているのだが、 (十分予想できることだ。) バッハとかヘンデル(これが美しい!) あと私が意外だと思い、聴いて「これは!」と思ったのがショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」だった。 この曲集はアシュケナージのCDが何と言っても世評高いのだけど、私は断然キースのが好き。 彼の澄みきった音(と音楽)がショスタコーヴィチのアイロニカルな悲しみを超えて、気持ちがずっとずっと彼方へと誘われる感じだ。 で、グールドの話だけど、 う〜〜ん、あまりキースと音が似ているとは思わないけど、 彼の音楽にいつもつきまとっている、「抒情」といってしまうにはあまりにも純潔なものが少しキースと通じるものがあるかもね。 それとサマンサはこれは何の本を読んだのかな? 音楽を言葉にすること自体、超難しいことだけど、グールドのような世紀の天才 ほんとに地球人なのか?っていうような存在は分析し、言葉にするのは… 私がグールドのことを読んで納得し、勉強になったのは 評論家の吉田秀和先生とミュンヘンのヨアヒム・カイザーの文章だけ。 グールドのレコードが初めて日本でリリースされ、その破天荒ぶりに誰も理解できなくて冷淡な批評を浴びせられてたころ、吉田先生だけが孤軍奮闘してその天才・独創ぶりを 全力で、しかも深い洞察の文を書いていた。 それについでに言うと、(誤解を恐れずに言えば) 日本で音楽評論家、といえる人は吉田先生だけだと私は思ってる。 日本の音楽界−演奏、作曲、研究すべてをひっくるめ、一番遅れているのは はっきりいって評論だ。 もちろん心ある評論家はいっぱいいるのだが、う〜ん、なかなかね。 これは国民性なのかもしれない。 欧米の人に比べて、日本人はとても感覚的には秀でているが、 ひとつのことを「何で?」「どうして?」と考え抜く力が足りないらしい。 話がそれたけど、グールドの、いつもその場に新しい音楽の生命が生まれくるような 創造的な雰囲気、 そのことをジャズ的な、と言うのならそれはそうかもしれないなー。 いや、でもとにかく彼は謎の人。 わかるのはとてつもない天才だってことだけ。 タイムトラベルができたら、絶対聴いてみたい筆頭だよね。 P.S 明日から会社はお盆休み。私もPCのないところへ出かけるので数日この日記はお休みします。 すみません。 え?ホッとしたって? ほぉ〜〜、来週からまた目にもの見せるよっ! ...
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