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日本人の新鮮さ - 2003年09月03日(水) 私は小澤征爾さんの指揮する音楽がすごく好きだ。 ご存知の通り、彼は今やウィーン国立歌劇場の音楽監督という 音楽界最高の地位。 このことで逆に日本でも一躍時代の人となったが 別に「指揮界の寵児」「世界のトップを走る指揮者」小澤征爾の名は最近有名になったわけではなく、 もう1960年代にはもうその名声は確立していた。 アメリカ最高のオケのひとつボストン交響楽団の音楽監督だったし、 ベルリン・フィルやウィーン・フィルの常連で、ミラノ・スカラ座やザルツブルク音楽祭にもしょっちゅう出てたワケだし。 誤解を恐れずに言えば、あらゆる分野で活躍する日本人の中で 最も世界的な人物ではなかろうか。 アメリカでは昔から野茂やイチロー以上に有名であり ワールドワイドでも黒澤明さんと同じかそれ以上に著名な日本人であったのだ。 昨日の夜、小澤さんがボストン交響楽団を指揮するリムスキー=コルサコフの 「シェエラザード」を聴いた。 ところでダントツで抜きん出た才能や有名なものには必ず「アンチ派」がある。 アンチ巨人しかり、あと何かな…? 音楽ファンにも「アンチ小澤」という人はたくさんいる。 実は私も小澤さんの指揮する音楽の全てに感銘を受けるわけではない。 昨年、爆発的なセールスを記録した「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」も ウィーン・フィルのニューイヤーとしては久々に活気がある一夜だったものの ずいぶんさっぱりしたシュトラウスのワルツになってしまって、あまり酔えなかった。 それは小澤さんが「良くない音楽家」だからではなくて 彼がとても個性的なものを持った音楽家であるため、合う曲と合わない曲があるのだ。 相性ですよね。 小澤さんの個性がその指揮している対象の音楽をものすごく活かすこともあれば、少しばかり魅力を殺いでしまうこともある。 その個性というのは、私から見れば(プロの批評家さん、ごめんなさい。) 肌理の細かい感覚で音を微妙に扱う感覚と、 抜群のリズム感。 オーケストラを鵜飼のごとく正確にあやつる技術。 清潔で、生真面目なくらいの誠意と情熱。 というところだろうか。 結果的にはラヴェルだとかプーランクのような精密なフランス近代音楽、バルトークなどは抜群に彼の強みが発揮されるが、 イタリア・オペラや、ブルックナーのような野暮ったいくらい精神的なものが勝った曲や さっきのシュトラウスのような官能的で優雅な音楽は、いまひとつ食い足りなくなる。 (…と私は感じる。) でさっきの「シェエラザード」の話にもどるが、 これは「え、これがよく聴かれる原色的で濃厚なロシア音楽???」と思いつつ 実に清潔で、隅々まで細かく微妙〜なニュアンスで彩られたこの小澤流「シェエラザード」。 なんとも魅力的で、眠るどころかどんどん目が冴えてしまった。 まるで最上の高級な漆塗りのひんやりとした感じ… 私は、小澤さんがヨーロッパ音楽界に彗星の如く登場した時、 きっと世界の聴衆はこんな新しい(エキゾチックな?)感覚の出現を 新鮮な驚きをもって迎えたに違いない、 と思わずにはいられなかった。 ...
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