ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

スイス旅行記 その4 - 2004年07月12日(月)




昨日はみなさん、選挙行かれましたか?


私は行きましたよ。

今までも選挙にはちゃんと行ってたけど
正直「国民の義務」だとか、「今の政治に一石を」みたいな
熱い気持ちはなかった。


でも今回は、
私だけではなく、多くの人が
一票を投じる、というせめてものかたちで
政治の行く末に自分の考えを反映させたい、
と思ったのではあるまいか?




ま、その話はともかく、
「スイス旅行紀」です。


スイスの自然がいかに素晴らしくて
私たちがそれに感動しながらの毎日だったかは
もう既に書きました。


しかし、私たちが旅をしながら
それがスイスの国の人々にいかに大切にされているものなのか、
維持していくためのお金と労力、
つまりは愛情をかけているかを気付かされた。


それにまた感動した。



旅行2日め。

サン・モリッツからツェルマットまで
「氷河特急」で7時間半の旅。

7時間半なんて(しかも平均時速50キロ)
乗る前は「退屈するかも…」なんて思っていたが
乗ってみればとんでもない。

飽きるどころか
見る景色、見る景色、どれもが違って
どれもが胸いっぱいに、気持ちがどこまでも広がっていくような
緑、緑。

雄大な谷、赤やピンクの花を飾ったかわいい民家、
牛や馬(ブタもいた)がゆったり草を食べている牧草地、
おっそろしく高いところから落ちてくる滝、
澄んだ水の湖、小川…


この氷河特急はみな標高2000メートルから3000メートル近くまでの
山々の間を走る。


氷河特急は20世紀初頭からもう敷設が始まり
切り立った渓谷にかかる数々の石造りの陸橋(なんと大きくカーブする橋まである)だってその頃からもう作られていたのだ!


大きな標高差を上ったり降りたりするための
三段ループ、アプト式線路(線路の間にギザギザのもう1本の線路があり、車両の下のギザギザと噛みあわせて坂を上る。昔、軽井沢の手前の碓井峠を思い出す。)
スイッチバック。

あらゆる技法を駆使して鉄道がひかれた。


スイスの人が自分たちの財産である、愛する自然の景色を
多くの人に見せたい、という一種の執念だ。



またユングフラウ・ヨッホ。

ここだって私は全然知らなかったのだが、
3500メートルの高さまで登山電車が
(あ、そうそう、さっきの氷河特急といい、この登山電車といい、マッターホルンを望む展望台に行く電車といい、すべて「電車」である。ディーゼル車ではない。)
登るのだ。


3500メートルですよ!!?


あとちょっとで富士山の高さだ。
そんなところまで電車が登るって!?


途中から山の中にくり抜かれたトンネルに入り、
以降、てっぺんの展望スペースに至るまですべて山の中を改造した要塞、
といった趣だ。

これがまた19世紀末にはもう構想されていたとのこと。


この壮大な山に近づきたい、
多くの人にこの素晴らしさを見てほしい、という気持ちがこういうものを実現させる。


私はひたすら圧倒された。


展望スペースといったって、
スペースなんてもんじゃなく
「駅」を降りて歩くと、周りがガラス張りで周囲の氷河がながめるコーナー
お土産屋からレストラン、カフェ。
トイレはもちろん簡単な博物館まである
一大施設である。


ここからちょっと表にでることもできて
ただ、天気は良いものの、かなり吹雪いていたので
出たら吹っ飛ばされそうになった。


マイハニーはやはり感動しているのか
心なしかいつもよりステップ軽く、
さっさかさっさか歩いていく。



ところが私はその時高山病でかなりフラフラして動きが鈍くなっていて
ちょっと動けば気分が悪くなる。

「まってぇ〜ハニー!!」という感じであった(><)



恥ずかしい話ではあるが、ここは海抜3500メートルの地。
そういう注意もされてたから、ここはお許しくだされ。



それからマッターホルンのふもと、ツェルマットという街。
(繰り返すがホントに日本人が多かった。)

ひとつ手前のテーシュというところまでは自動車でいけるが
それから先は電車でないとツェルマットには入れない。


ではツェルマットでは自動車はいないのか?といえば
電気自動車のみが動いている。
(あと観光用に馬車が走ってたけど)



徹底してるのだ。


確か日本でも上高地がそんなことをしてるように思ったが、
スイスの人々の自然を大切に、誇りをもっているその有りよう、
私は本当に感銘を受けた。



私たちの旅はその熱意に支えられたものだったのだ。








...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home