日々日記
いちらん…ふるい…あたらしい
自分が「あー、幸せだなー」と思うことの種類が変わってきた。
昔は何か特別な出来事が起こるたび「幸せ」と思ったもんだけど、 今は平凡であることが幸せに感じられる。
幸せは遠いどこかにあるものでも、誰かが与えてくれるものでもなくて 今いる場所で自分が感じるものなのだ。きっと。
高価なものはなにも持っていないけど、お金はいつもないけれど、 わたしは幸せだ。
そしてさくらももこの「COJI-COJI」は傑作だ。 (意味がわかんない人はとにかく読んでみて!すごいから)
高校の同級生のお父さんが亡くなった。 かれこれ15年、遊びに行くといつも娘のようにかわいがってくれた。
そのおじさんが末期がんをわずらい、病気が分かってからほんの2ヶ月で この世からいなくなった。
わたしはギリギリ最後に、本当に亡くなる2日前に会いに行けて おじさんに話しかけることができた。
死んで行く人に声をかけたことってある? 正直、友人から打ち明けられた時も彼女に対して何を話していいのかも わからなかった。 彼女もすごく狼狽していたし…。
しかし、友人とおじさん、おばさんに会いに行かなきゃ!と それだけは時間がたつうちに強く思うようになり、 ある週末、強行スケジュールで帰省した。
行って、車から降りて出迎えた友人と言葉を交わす寸前まで 話すべき言葉がまったく浮かばなかった。
大丈夫だよ、良くなるよ。とは言えないことがこんなに辛いとは。
今の医学ではどうやっても治らないことを、おじさん自身も 看病している家族も知っている。
お見舞いの決まり文句が何一つ役に立たない。
もう言葉の話せなくなったおじさんに聞こえるようにと祈りながら 枕元で手を握り、自分の想いを自分の言葉で話すしかなかった。
おじさんの娘とは一生友達だから。 彼女はわたしの大事な友達だから、 何かあったら必ず助けるから心配しなくていいよ。 約束するよ。
会いに行った前の晩からごはんを食べなくなったおじさんは、 2日後に眠るように亡くなった。
相手が生きているうちに会うことが、わたしにとって どれだけ意味あることかを思い知る出来事だった。
そして、生きてるうちに会えなかった人への想いが、より一層募る結果に。
こうやってときどき『思い出し後悔』を繰り返しながら (そんなものいっそ捨ててしまえばいいのにそれもできず)、 なおもその後悔を日常の片隅に潜ませて日々を営むのが生きるってこと? 生きるって厳しいわぁ。
でも、わたしは生きる。 命のタイムキーパーが「はーい、時間でーす」と言うまでは生きる。 まだ正味の時間なのか、ロスタイムなのかはわかんないけど、 とにかく日々を生きる。
これが臨終只今なんだねー。
inu-chan
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