日々日記
いちらん…ふるい…あたらしい
2009年09月15日(火) |
修行のこと。覚え書きのようなもの。 |
先週末、比叡山で一日修行してきた。
ほぼ99%以上信者さんで構成されてる中で、黙々と歩いた。
外はまだ真っ暗な丑三つ時に起床。 前日に降り止まなかった雨が上がって、薄雲の向こうに欠けた月がほの白く見えて幽玄な雰囲気。
やがて準備体操と、阿闍梨さんに頭こっつん(正式にはなんていう行為なのか?)されて、 真っ暗な中を懐中電灯をたよりにして出発。
50代後半〜70代くらいの人が大半なのに思ったより歩く速度が速く、 遅れないよう必死で付いて行った。
要所要所、阿闍梨さんが比叡の山の中で立ち止まり、場所や行の意味、 作法について説明してくれる。
今回は友人に誘われて付き添い参加したので、 行くまで難しいことは考えずにいたんだけど、修行が始まっちゃったらそうもいかない。
到着してすぐ天台宗のお務めが始まってガクブル。
あたし何やってんだ。作法もお経もわからない。 でももうやるしかないや。と思って腹をくくった。
で、参加してわかったこと、びっくりしたことがある。
阿闍梨さんがすごく徳の高い人だということ。
すごーく優しい。たぶん、この底が見えないくらい深そうな優しさとおんなじだけの深さで、 きっと厳しいんだろうなと感じた。
この優しい人の言うことはちゃんと聞きたいなぁと思い、 自分は天台宗の人じゃないけど、ちゃんと真剣に歩ききった。
会ってすぐ阿闍梨さんを大好きになった。そんな人には滅多に出会わない。
それまで持っていた千日回峰行にまつわるいくつかの「?」に対し、修行は すごく明確に答えを示してくれた。
言葉にはならない形で、つまり振る舞いや空気のようなものによって、 体の中に流れ込んでくる感じ。
根本中堂もすごかった。汗まみれで、くたくたのよろよろ状態で見たんだけど、 百年、二百年程度の時間じゃ醸し出せない重さ、もうなんとも表現し難い荘厳さが しっかりとそこにはあって、ああこれが歴史の重みってやつか…って感じた。
1200年、一日も休まず朝晩、世の中の平安を祈っていると聞いて、もうね…。
1200年ですか…、そして今新しく祈りが継がれていく先端に私はいますか、と思うと 非常に不思議な気持ちがした。なんだかわかんないけど、嬉しくなった。
途中で見かけた別の阿闍梨さんのおうちに立派なBMWがあったのも、 私はある意味わかりやすくていいと思った。
現代では坊主だっていい車に乗りたいし、乗れるのだね。
それを、信者の立場から見るのか、研究者の立場から見るのか、 他宗教への寛容さに欠ける宗教の信者として見るのかで、全く変わってくることが面白い。
たった20時間弱の修行だったけど、終わったあと「清々しい気分」とか 「生まれ変わった私」とかいう気分じゃなく、
「で、ようするに宗教ってなに?なんなの?」という問いが、 ますます強くなってのしかかってくるのだった。
なんなんだか全然わからんぞ。大混乱。だからもっと勉強しよっと。
inu-chan
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