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自分の行動基準 csf#005
2003年07月24日(木)
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前回の反省会(この日記)の続きが個人的に気になってたので、その話しになってしまった。 ボキャブラリーが足りなく「あれ」「こんなん」とゆう単語が多く、意思疎通に欠けるものの、色々意を汲んでくれていたS先生、大変そうだ。自分は発音も悪いし。会話中に目を合わせないし。
私は病気になってから、かなり独学して、いらん知識で自己分析しまくっているのだが、そうゆう解釈はなるべく外して話してる。 個人的に、「みんなに合わせ」なくてはならないと思い込んでいるのだが、「みんな」が一体「誰」なのかは、ものすごぉく怪しいもんである。自分がそれに従うのなら構わないが、私が他人に「それが常識でしょ」と決めつけられては堪らないとも思う。 それは、今の彼が別の価値観(少なくとも私にとって)で生きてきたから、なせいもある。 そして誰より「みんな」なんて得体の知れない「何か」に縛られて生き続ける事にも、もう耐えられない自分がいる。 もちろん、それで問題なく生活できればほおっといてもいいのだが、「誰か」が恐くて身動きがとれず、息をするのも苦痛に感じているのだ。
そして、私は「何か」に対して物凄く「不満」を感じて、不機嫌な人間になっている。
独学してきたのは、病気の傾向と対策が分かれば、薬物療法と合わせて、普段の行動にも修正すべき点に気づけるのではないか、と思ったからだ。いくら薬で精神状態が安定しても、「不安」や「鬱的思考」は治らないと考えている。 以前失敗した場面に遭遇すると、「今度はうまくやろう」よか「また失敗するんだ」が勝ってしまうのだ。そしてその状況から逃げ出したりしてしまう。 変な話し、薬だけでは治らないと思っている。
実は前回も今回も、予約の時間に間に合っているのだ、私がだ。 S先生は、この変化に気がついていたようだ。自分では意識していなかったのだが、指摘されたのだ。 時間になったので、「どうして以前より来やすくなったのか」は宿題となった。 だけど、本当は、理由は分かっているのだ。
それはともかく、「自分を変えたい」と思っているのは、「こんな自分はどうにもならない」「人生を終わらそう」とは考えていないからでもある。 「自ら命を断つ」とゆう、自分の負けを認めたくは*絶対*思ってはいない。
そんなカウンセリングでした。
--------------- こんな寒い夏でも、ビアガーデンはオープンしている。帰りに会場をうろついていると、歌声が聴こえてきたので、見てみると、テキサス出身の方のライヴパフォーマンスをやっていた。 背中にはドラム、前にはギター、キーボード、ハープ、歌も唄う「ワンマンバンド」の方がストリートで演っていたので何曲が見てきた。直立不動ではあったが、唄っていてすごく楽しそうだったので、私も久々に元気をもらいましたv
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