2003年08月10日(日) |
あのサイズのフレームには激しい既視感を覚える。 |
松竹に限らず、1000くらいのキャパシティでジャニコン(舞台) を見ると必ず思う事ですが、毎週末、毎終業後にああいうショータイム 見てたなんて、やはりそっちの方が奇跡だったのね…と。 “まぼろし”だの“奇跡”だのよくあの時期の事をそういうけども、 実際生きてる人間が立って表現していた舞台で、終わってしまった今でも 彼らはどこかで生活している訳で、夢にみたいに思い出すのは不謹慎 なんだけど、やはり多少なりとも気持ちはそちらへ行ってしまいます。
だってほんとに素晴らしかったんだもん、京都。
しかも今回はゲタップに丸さんの「おまえがいる」(一瞬だが;) という5年前(ひぃ)のネタまで披露してくれて更に懐かし 切ないかんじでした。まぁその辺りあの事務所のお家芸と言っちゃそれまで ですが、目の前にいる人達の成長と、失われた過去の残像と。 そんなものを一緒に体感できてしまう。上手いんだろうな; でも分っててもいつもまんまとやられてしまいます。
CDを出して、オリコンの順位や売上や、コンサートの 動員数をカウントされるのがデビューの意味なのか。そんな 数字にしか表されない活動が出来なければ一流でないのか。 デビューするしないの差はこんな程度で、とても狭義だと思う 私にとっては、彼らのデビューは必ずしも必要だとは思えない。 でもそれをしないとただでさえ不安定な足元が更におぼつかない。
何か方法はないもんでしょうか。
彼らがあそこでやる以上の能力と器を持っていると実感するだけに、 松竹座に向かうと毎回のようにこんな風に思ってしまうのです。 余計なお世話でしょうけど。。。
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