ノエルの日記
日々いろんなことがあるよね。

2005年08月15日(月) ◆終戦記念日

俳句の世界で「終戦記念日」「終戦忌」は秋の季語になる。
「他人事のように黙する終戦忌」
これは去年の句会に出した俳句だが、この句を読まれた先輩達の
何人かが「自分達の中では“終戦忌”ではなく“敗戦忌”である」と
おっしゃられた。
そう、日本は負けたのだ。
なぜ負けたのかは歴然としている。

先日教育テレビでゼロ戦を設計した人、操縦していた人、
ゼロ戦と戦ったアメリカ兵の話を放送していた。

ゼロ戦は優秀な戦闘機だったが、それは初めての出撃の時だけだった。
以降ゼロ戦は何度か改良するも上層部の命令で防御策をとらなかった。
アメリカの戦闘機ヘルキャットは優秀なパイロットを守るために
防弾ガラス、燃料タンクへの分厚いゴムの装着、操縦席背面への鉄板防御、
翼には自動消火器まで設置。
それはマンパワー(戦闘に行って帰ってきたものは経験をつんでいる)を
大切にするやりかた。
日本はどうだ、防御すると全体が重くなり本来のゼロ戦の軽やかな
動きが出来なくなるから防御は無し。という人の命を軽んじるやり方。

アメリカは墜落したゼロ戦を研究、すぐにそのもろい防御がばれてしまう。
燃料タンクを狙えばすぐに爆発してしまう戦闘機。
おもしろいように撃墜する事が出来てしまった。

日本も墜落したヘルキャットを研究、あまりの防御策に
設計者たちは驚いた。
「防御策が必要なり」に耳を傾けたのは山本五十六だったが
その話し合いの結果を上層部に伝えに行く途中で戦死。
ゼロ戦設計者は声を大にして防御を訴えるが上層部は却下。
「大和魂でなんとかできる」様なことを言われる。
そしてゼロ戦は特攻の役目を負わされる事になる。

ヘルキャットと戦ったゼロ戦パイロットは
「撃っても撃っても墜落しない」と言っていた。
日本は既に資源も無く戦える環境ではなかったはずだ。

サイパンで見た戦後そのまま残されている戦車も小さくて薄っぺらくて
「これで戦わされたのか」と胸が痛くなった。

真実を見ようとしない、正しいことを認めない
兵士の命を重んじない、責任をとらない。

何より、今何が出来るか、将来はどうなっていくかの判断が出来ない。

最低の上層部は戦後もそのまま育ち続けている様に見える。


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