たりたの日記
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| 2004年07月08日(木) |
銀座ですごしたスピリチュアルな時 |
今日は銀座へ行った。出不精なわたしにとっては珍しく行動的な一日だった。
今日は銀座でなすべき3つのことがあった。ひとつはゴザンスで知った画家の榎並和春さんのグループ展を見ること。 もうひとつはシネ・スイッチでやっている映画「真珠の耳飾りの少女」を見ること。 そして、教文館書店で教会学校の教材を見つけること。 この暑さにもめげず、その3つのことがつつがなくでき、またそれぞれに収穫があり、とても充実した一日だった。
榎並さんのサイトはついこの頃知り、それからはちょくちょくおじゃましている。そこにある絵の静かな空気、独特の質感とアースカラーと言うのだろうか、自然をそのまま取り出したような色、暖かい感じのする形がなにか親しく、むしろなつかしい感じさえする。
余談だが、こういう「なつかしい」感覚というのは、いろいろなものに対して起こる。セロニアス・モンクのピアノ、グレゴリアン・チャントといった音楽を聞いた時、また人や言葉や景色に対しても。初めて出会ったのに昔から知っているというような…
今日見たグループ展「四つの壁による惣展�供廚任蓮■横姐罅覆�そらく)の2点「風来坊」と「きこえる」、そして「聖」と題された箱に描かれた7つの小品を見ることができた。 深いところから汲み出されてきた色や形だと思った。何を持って宗教的というのかその言葉そのものが曖昧ではあるが、わたしの感覚としてはなにかしんと静まってくるような宗教的でスピリチュアルな波が届いた。
スピリチュアルということでは、ギャラリーに行く前に見た「真珠の耳飾の少女」も、全く予想していなかったものの、そこに流れる高い精神性を感じ、人と人との出会いがもたらす芸術を生み出す力を思った。深く理解される時、深く知られる時、人は自らの内に潜在する力を引き出される… このことはまた別の機会に書こうと思う。
帰りに立ち寄った教文館では、教会学校の教材を見つけた後、いろいろと本の探索ができてよかった。キリスト教関係のフロアーだったので、普通の本屋ではなかなか見かけない本が数多くあり、どれも興味深く、思わず長居してしまった。 迷った挙句、パスカルの「パンセ」とボンヘッファーの「共に生きる生活」を求める。パンセは持っていたはずなのに、どういうわけか今手元にない。ボンヘッファーの著作を買ったのはFさんが送って下さったボンヘッファー短章「信じつつ、祈りつつ」に、これは!と感じるものがあったからだ。
出会いが続いている。
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