たりたの日記
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2018年02月19日(月) |
玄米スープから始まった日曜日 |
日曜日の朝、玄米を炒る香ばしい匂いが台所から二階の寝室まで漂っている。 夫が玄米スープを作っているのだ。 結局、お腹の調子は良くならないまま、昨夜はほぼ1時間おきにトイレに駆け込むというなさけなさ。しかしこれは明らかに自業自得。腸は弱っていて、すでにサインを出しているというのに、わたしときたら、食べたいという気持ちを優先させ、これくらいなら大丈夫だろう、これは消化にいいのだからと、腸を休ませることなく食べていた。
土曜日に何を食べたかといえば、朝食にりんごのヨーグルト和えとにシフォンケーキを少し。昼食にうどんを半分と伊予柑を1つ。おやつに焼き芋半分と夏みかん大の大きな蜜柑を1つまるごと。夕食に焼き芋の残り半分と小豆麹のおしるこ。ま、病人食らしくはあるが、わたしの腸はこうしたものも十分消化できないほど音を上げていたことに気がつかなかったわけだ。というか、身体に甘えた。で身体はわたしに窮状を知らせるべく、必死に警告を発したのだろう。
で、日曜日の朝、頭に浮かんだのは玄米スープ。 料理家、辰巳芳子さんが著書「あなたのために いのちを支えるスープ」の中でいの一番に紹介しているスープだ。 玄米を気長に炒って煎じるというこのスープを以前、何度か作った。身体に優しく美味しく滋養のあるスープであることは十分分かったものの、なんでも食べられる身体にとっては「必要」というところまではいかない。けれど、今はこれが必要、そう感じた。幸い、玄米スープ用に冷蔵庫に保存しておいた玄米がある。夫に作り方を伝え、作ってもらうことにしたのだった。
澄んだたんぽぽ色の玄米スープは梅干しの酸味と塩かげんも丁度よく、言葉の通り身体の細部に染み渡る感じ。これだったら腸への負担もないだろうし、身体は必要な滋養が取れるだろう。
この日ベッドの中で考えたことは、こうなれば、いかに腸に負担をかけない食事をするかが、当面のわたしの課題なのかもしれないということ。抗がん剤の副作用がなくなってからというもの、それまで食べたくない、食べられないと思っていたものが食べられるようになり、食べられるものはなんでも食べようみたいな貪欲さがあったが、その発想を変えなくてはならないな。 断食(ファスティング)や一日一食は身体にとっては良いに違いないと思っていたし憧れもあったが、わたしには無理とばかり実行に移せないでいたが、今は必要に迫られている。断食と癌治療の関係を調べてみると、様々な研究や著書や体験談が出てきた。
余命3ヶ月長くて半年という肝臓ガンの宣告を受けたムラキテルミさんが、朝はにんじんジュース、昼は生姜紅茶、夜は普通の食事というファスティングを行い、13ヶ月後に癌が消えたという講演は印象深かったし、癌患者にとってもファスティングは有効だということが分かり良かった。また、彼女が支持する医師、石原結實著「食べない健康法」も読んでみることにした。
昨日の日曜日は、玄米スープ、かぼちゃのポタージュスープ、小豆麹のおしるこ、マニカハニーという固形物なしの食事に徹したお陰で、昨晩は土曜日に夜のような悲惨な事態を招くこともなく、お腹の痛みも今はない。けれど、腸には何かしらの問題があり、それが解決したわけではないのだから、普通の食事に戻して良いわけはない。身体に負担のないよう配慮しながらのファスティングがしばらく必要となるだろう。このことが、ムラキテルミさんのように癌を消滅させることに繋がるなら、今やっていることにもうひとつ付け加える治療法として価値あるもののように思える。わたしの場合は、スープを中心に持ってくるのがよいような気がするが、それについても調べてみよう。
辰巳芳子さんが著書「あなたのために いのちを支えるスープ」の前書きに「スープに託す」という文章がある。以前は読み飛ばしていたかもしれないこの文章がこころに染みた。 それは夫が玄米を炒り、それを煎じて作ってくれた一椀の玄米スープが、一瞬にして総身にしみわたるとこの身で感じたからだ。 その文章の始めと最後の部分をここに書き写しておこう。
「スープに託す」
「つゆもの、スープ」と人のかかわりの真髄は、と問われましたら、あらゆる理論を超えて、「一口吸って、ほっとする」ところ。いみじくも「おつゆ」と呼ばれている深意と答えたいと思います。 作るべきようにして作られたつゆものは、一口飲んで、肩がほぐれるようにほっとするものです。 滋養欠乏の限界状態で摂れば、一瞬にして総身にしみわたるかに感じられるそうです。この呼応作用は、いつの日にか解明されますでしょう。
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人の生命のゆきつくところは 愛し愛され、一つになることを願い それをあらわさずにはおられぬ仕組みを 生きるところにあると思います
人間の尊厳も自由も 互いに愛惜せねばならぬ根源も ここに、見出されてなりません
これが、スープの湯気の向こうに見える実存的使命です。
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