1977年07月07日(木) |
小沢遼子の「安保ゲリラ」(婦人民主新聞掲載) |
婦人民主新聞掲載/筆者=小沢遼子
(小沢遼子さん編)
☆1971年 「公害亡国第一号は日本 自分の生きているうちは大丈夫か」
・・・そんな恐ろしい話をしながらも、たぶん、自分の生きているうちは大丈夫と思っているからだろう、まことに楽し気なのである。・・・そうすると、全身こめて、世の中の不合理を訴える人間が本当にいたら世の中変化が起きるかなどと、ぶん殴られそうなことをふと考えるほど、平和だったのである。
☆1974年 「列島風波ますます高く インフレに暮れる 来年コソハガッチリト」
・・・べ平連解散あとはどうするかと言われもしたがこんな時ほど本領発揮せねばよそもの連合の名がすたる。むこう数年の計画をがっちり立てていまやエンジン全開である。・・・日本列島風波ますます高く、浮くなと沈むなとすでに覚悟はできている。だがおとなしく屠所にひかれるのだけはまっぴら、やることだけはやらねば気が済まぬ。さらにやるなら華やかに面白いのがいい。・・・なんと国盗り物語の脚本が、ああでもない、こうでもないと進んでいく。・・・物資の乏しいときこそ、女はやりくりに精を出せなどというおハナシが蒸し返されるかもしれないからご用心。このインフレ、丁と出るか半と出るか、お楽しみと言えばお楽しみ。混乱に乗じて儲けるやり方を少しはこちらも見習って、来年こそはさらにガッチリと我らの砦を作らなくっちゃ。
☆1975年 「涙、涙、の女の立場 今年は国際婦人年だけど」
・・・もちろん二年も育てれば可愛くもあるだろう。だが、この育ての親たちは産んで育てられなかった女の気持ちを考えてみようともしなかったようだ。子どもを抱えて一人になったとき三十近かった産みの親は、職も無く金も無く、子どもを預けるほかに道はなかったのだという。・・・うなだれて、今まで育ててもらった恩もあって強く出られないのです、と呟く彼女を見ていると何ともやりきれなくなってくる。そんなに欲しがるのならあげちゃいなさい、と猫や犬の仔なら言えるけれどこればかりはそうはいかない。実はこれと同じような話は随分あるのだ・・・昔ながらの女の涙は至る所にあるのである。そのどれひとつをとっても、もう少し女が世間を知っていたら、経済的な力があったらという場合ばかりなのだ。書いている今も胸がつまってくる。
☆1976年 「女はきっかけつかみ 男は無知さらけ出し 国際婦人年は終わらず」
・・・ラーメンのCMをやっつけたことは実に面白かったが、もうひとつ、女たちのやることなすことにケチをつけたマスメディアのひとつぐらいぶっ潰してやりたかった。・・・日本ではもう少し攻撃的になってもいいのではなかろうか。そう思って、今あれこれと妄想をたくましくしているところである。
☆1977年 「今年こそは 女たちの輪広げよう より華やかに より猛々しく」
・・・家庭科の男女共修に反対するという決議をしたのは司法研修所の教官たちに次ぐ一九七六年男の愚考の納めとでもいうべきことだったろう。雉も鳴かずば撃たれまい、自らその実態をさらけ出してくれるのであるから、女はますます忙しくなるのだ。・・・放っとけば尻つぼみになるのが行政の常であるから、せっせせっせと押しかけてせめて革新県政のスローガンの一つに男女平等くらい入れさせようと思っている。1977年がどんな年になるかもちろんわかりはしないが、女性問題の行く手にラッキーセブンが二つ重なる年であって欲しいものだ。・・・大親分を祭り上げて誰それとサシで話が出来るオレを売り込む男たちの政治はもううんざり。今年こそ、よりはなやかによりやさしく、そしてもちろん猛々しく、女たちのつながりの輪を広めてゆきたい。・・・行く手をさえぎるものは蹴散らし、殴り倒すくらい元気よく、ネ。
☆新しい運動は生まれるか アジア婦人会議に参加して(1970-09-04)
・・・ただこれまでの母親大会とかのような、何とはなしに、甘えのつきまとった感じのものではなさそうだと思っていたのである。・・・非難を覚悟でいっちまえば、きれいで自信に満ち溢れた女の子とそうでない女の子とでは、何をやるにつけても積極性が違う。・・・つまるところそんな日頃に我慢できなくなった女が、うんとこさ集まってきてええめんどうだ、やっちまえとこうなるのではないか、それならいうことがある、聞きたいことがあると、わたしは意気込んで出かけたのだ。
☆「不良」か「自主性」か 雨の夜のクラス会談議(1970-10-16)
・・・「しかし、あんたは昔から不良だったからなあ、よるとさわると亭主とうまくやっているかどうか、みんな心配してるぞ」「不良たって、そにかく自分で何でもやっちゃうってことなんだ、女の場合は。しかしそれでやっていく女がいてもいいよなあ」「ショボクレないでやってくれよな」「子どもがいるにしちゃあ、相変わらず威勢がいいよ」・・・「オレ婦民読んでるんだ。タマにはいいことも書くじゃないか」
☆あったかい関係 われわれの失くしたもの(1970-11-13)
・・・ひとりは組合で熱心に活動している夫がいながら、自分は夫と何も分かち合うことがない日常生活を送っている。その空しさをよく訴えられるのだが、わたしとしては何とも答えようが無い。もういちどご主人とよく話し合ってなどという気もなく、子ども二人を抱えている彼女に別れてやり直せと簡単に言えるわけもなく、とにかくもっと何かをやってみることだと一般的に言ってしまうのがオチなのだ。・・それであなた、自分の日頃の人間関係について考えるところあったの、たとえばご主人のこととかと、わたしはあえて聞いてみた。
☆"リブ"は登場した 人間らしい暮らし求め(1970-11-27)
・・・考えてみれば、これまでだって女は少しもいいことがなかったじゃないか。・・・妻とか母とかとにかく誰かのために生きていることを大義名分にしてやっと社会の隅っこに席を見つけるのだ。母性、母性というけれど、子どもが嫌いな女がいたって不思議はない。・・・女はもともと劣っているのだとは、世のエライ先生が教えてくれるけれど、どうせそういう人の言うことは自分の都合のいいことばっかりなのは何の場合だってそうである。・・・郵便配達夫は黙って配達してりゃよい、鉄道員は電車を動かしてりゃよい、・・・劣っているというならそれでも結構、女はこれで行こう、女にだけわかりゃいいのさとひらき直ればいいではないか。・・・彼女たちの母親はほとんど、世間さまの言う正道を歩いて、ちゃんと家庭を守り、子どもを育ててきた。だけど、ちっともおもしろくないじゃないのあんなくらしと彼女たちは言うのだ。・・・何だって最初はそういうものなのだ。・・・オトコを倒せ(とは言っていないが)という言葉が女をとらえるにはそれなりの理由がある。・・・
☆親が子を思うこと それはいつも正しいか(1970-12-11)
・・・ほとんどの若い連中は、親の今の生活をすばらしいとは思っていない。まじめに小心に家庭や職場を大切にしてきた両親の生活がまるで息の詰まるように退屈なものだと考えている。・・・よく聞いてみると、子どものやることに干渉する根拠は、世間にみっともないとか勤め先に影響するとかいうみみっちいことにすぎないのだ。・・・家庭の理解とか両親もともにとかいうけれども、いつまでたっても親と子の問題は難しい。
☆女に込める思い この半年をふりかえって(1970-12-25)
・・・本当のことを言えば、婦人という名がかぶさった運動に興味を感じたことも参加したこともこれまでにあったわけでもない。・・・入管闘争を叫び続ける女たちに、それだけが女の問題なのかと問いかけた時から、わたし自身が女の問題に正面から取り組まなくてはならなくなったからである。個人的にわたしは女としてのいろいろな問題を抱え込んできた。・・・自分自身の場を持とうとすることの難しさとか、女の甘えとかいうことにいやでもつき当たらざるを得ない事情もあったのである。それでもいわゆる婦人解放運動に一度も興味を感じてこなかったのは、たぶん、個人的に解決できる面が沢山あるのだと単純に考えていたせいかもしれない。・・・もうしばらくは、女とか家庭とか結婚とかにこだわってみたいと思っている。・・・女の運動というのは難しいとことさら考える。日常的なあれこれに精一杯緊張していても、ふっと気づくと男の後ろにくっつきたがっている自分を感じるからである。わたしが女という時、その言葉に歴史や愛や哀しみの息づく生々しい女という思いを込めてしまう・・・
「水平社宣言」に対し 日本の「女性解放宣言」は ☆元祖、女性は太陽であった--『青踏』発刊に際して--平塚らいてう
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。 さてここに『青踏』は初声を上げた。 現代の日本の女性の頭脳と手によって始めてできた『青踏』は初声を上げた。 女性のなすことは今はただ嘲りの笑いを招くばかりである。 私はよく知っている、嘲りの笑いの下に隠れたるあるものを。 そして私は少しも恐れない。
しかし、どうしよう女性みずからがみずからの上にさらに新たにした差恥と汚辱の惨ましさを。 女性とはかくも嘔吐に価するものだろうか、
否々、真正の人とは--
私どもは今日の女性としてできるだけのことをした。心の総てを尽してそして産み上げた子供がこの『青踏』なのだ。よし、それは低能児だろうが、奇形児だろうが、早生児だろうが仕方がない、しぱらくこれで満足すぺきだ、と。 果して心の総てを尽したろうか。ああ、誰か、誰か満足しよう。 私はここに、さらにより多くの不満足を女性みずからの上に新たにした。
@婦人民主新聞掲載/筆者=小沢遼子
☆新しい運動は生まれるか アジア婦人会議に参加して(1970-09-04)
・・・ただこれまでの母親大会とかのような、何とはなしに、甘えのつきまとった感じのものではなさそうだと思っていたのである。・・・非難を覚悟でいっちまえば、きれいで自信に満ち溢れた女の子とそうでない女の子とでは、何をやるにつけても積極性が違う。・・・つまるところそんな日頃に我慢できなくなった女が、うんとこさ集まってきてええめんどうだ、やっちまえとこうなるのではないか、それならいうことがある、聞きたいことがあると、わたしは意気込んで出かけたのだ。
☆「不良」か「自主性」か 雨の夜のクラス会談議(1970-10-16)
・・・「しかし、あんたは昔から不良だったからなあ、よるとさわると亭主とうまくやっているかどうか、みんな心配してるぞ」「不良たって、そにかく自分で何でもやっちゃうってことなんだ、女の場合は。しかしそれでやっていく女がいてもいいよなあ」「ショボクレないでやってくれよな」「子どもがいるにしちゃあ、相変わらず威勢がいいよ」・・・「オレ婦民読んでるんだ。タマにはいいことも書くじゃないか」
☆あったかい関係 われわれの失くしたもの(1970-11-13)
・・・ひとりは組合で熱心に活動している夫がいながら、自分は夫と何も分かち合うことがない日常生活を送っている。その空しさをよく訴えられるのだが、わたしとしては何とも答えようが無い。もういちどご主人とよく話し合ってなどという気もなく、子ども二人を抱えている彼女に別れてやり直せと簡単に言えるわけもなく、とにかくもっと何かをやってみることだと一般的に言ってしまうのがオチなのだ。・・それであなた、自分の日頃の人間関係について考えるところあったの、たとえばご主人のこととかと、わたしはあえて聞いてみた。
☆"リブ"は登場した 人間らしい暮らし求め(1970-11-27)
・・・考えてみれば、これまでだって女は少しもいいことがなかったじゃないか。・・・妻とか母とかとにかく誰かのために生きていることを大義名分にしてやっと社会の隅っこに席を見つけるのだ。母性、母性というけれど、子どもが嫌いな女がいたって不思議はない。・・・女はもともと劣っているのだとは、世のエライ先生が教えてくれるけれど、どうせそういう人の言うことは自分の都合のいいことばっかりなのは何の場合だってそうである。・・・郵便配達夫は黙って配達してりゃよい、鉄道員は電車を動かしてりゃよい、・・・劣っているというならそれでも結構、女はこれで行こう、女にだけわかりゃいいのさとひらき直ればいいではないか。・・・彼女たちの母親はほとんど、世間さまの言う正道を歩いて、ちゃんと家庭を守り、子どもを育ててきた。だけど、ちっともおもしろくないじゃないのあんなくらしと彼女たちは言うのだ。・・・何だって最初はそういうものなのだ。・・・オトコを倒せ(とは言っていないが)という言葉が女をとらえるにはそれなりの理由がある。・・・
☆親が子を思うこと それはいつも正しいか(1970-12-11)
・・・ほとんどの若い連中は、親の今の生活をすばらしいとは思っていない。まじめに小心に家庭や職場を大切にしてきた両親の生活がまるで息の詰まるように退屈なものだと考えている。・・・よく聞いてみると、子どものやることに干渉する根拠は、世間にみっともないとか勤め先に影響するとかいうみみっちいことにすぎないのだ。・・・家庭の理解とか両親もともにとかいうけれども、いつまでたっても親と子の問題は難しい。
☆女に込める思い この半年をふりかえって(1970-12-25)
・・・本当のことを言えば、婦人という名がかぶさった運動に興味を感じたことも参加したこともこれまでにあったわけでもない。・・・入管闘争を叫び続ける女たちに、それだけが女の問題なのかと問いかけた時から、わたし自身が女の問題に正面から取り組まなくてはならなくなったからである。個人的にわたしは女としてのいろいろな問題を抱え込んできた。・・・自分自身の場を持とうとすることの難しさとか、女の甘えとかいうことにいやでもつき当たらざるを得ない事情もあったのである。それでもいわゆる婦人解放運動に一度も興味を感じてこなかったのは、たぶん、個人的に解決できる面が沢山あるのだと単純に考えていたせいかもしれない。・・・もうしばらくは、女とか家庭とか結婚とかにこだわってみたいと思っている。・・・女の運動というのは難しいとことさら考える。日常的なあれこれに精一杯緊張していても、ふっと気づくと男の後ろにくっつきたがっている自分を感じるからである。わたしが女という時、その言葉に歴史や愛や哀しみの息づく生々しい女という思いを込めてしまう・・・
☆1971年
「公害亡国第一号は日本 自分の生きているうちは大丈夫か」 ・・・そんな恐ろしい話をしながらも、たぶん、自分の生きているうちは大丈夫と思っているからだろう、まことに楽し気なのである。・・・そうすると、全身こめて、世の中の不合理を訴える人間が本当にいたら世の中変化が起きるかなどと、ぶん殴られそうなことをふと考えるほど、平和だったのである。
☆1974年 「列島風波ますます高く インフレに暮れる 来年コソハガッチリト」
・・・べ平連解散あとはどうするかと言われもしたがこんな時ほど本領発揮せねばよそもの連合の名がすたる。むこう数年の計画をがっちり立てていまやエンジン全開である。・・・日本列島風波ますます高く、浮くなと沈むなとすでに覚悟はできている。だがおとなしく屠所にひかれるのだけはまっぴら、やることだけはやらねば気が済まぬ。さらにやるなら華やかに面白いのがいい。・・・なんと国盗り物語の脚本が、ああでもない、こうでもないと進んでいく。・・・物資の乏しいときこそ、女はやりくりに精を出せなどというおハナシが蒸し返されるかもしれないからご用心。このインフレ、丁と出るか半と出るか、お楽しみと言えばお楽しみ。混乱に乗じて儲けるやり方を少しはこちらも見習って、来年こそはさらにガッチリと我らの砦を作らなくっちゃ。
☆1975年 「涙、涙、の女の立場 今年は国際婦人年だけど」
・・・もちろん二年も育てれば可愛くもあるだろう。だが、この育ての親たちは産んで育てられなかった女の気持ちを考えてみようともしなかったようだ。子どもを抱えて一人になったとき三十近かった産みの親は、職も無く金も無く、子どもを預けるほかに道はなかったのだという。・・・うなだれて、今まで育ててもらった恩もあって強く出られないのです、と呟く彼女を見ていると何ともやりきれなくなってくる。そんなに欲しがるのならあげちゃいなさい、と猫や犬の仔なら言えるけれどこればかりはそうはいかない。実はこれと同じような話は随分あるのだ・・・昔ながらの女の涙は至る所にあるのである。そのどれひとつをとっても、もう少し女が世間を知っていたら、経済的な力があったらという場合ばかりなのだ。書いている今も胸がつまってくる。
☆1976年 「女はきっかけつかみ 男は無知さらけ出し 国際婦人年は終わらず」
・・・ラーメンのCMをやっつけたことは実に面白かったが、もうひとつ、女たちのやることなすことにケチをつけたマスメディアのひとつぐらいぶっ潰してやりたかった。・・・日本ではもう少し攻撃的になってもいいのではなかろうか。そう思って、今あれこれと妄想をたくましくしているところである。
☆1977年 「今年こそは 女たちの輪広げよう より華やかに より猛々しく」
・・・家庭科の男女共修に反対するという決議をしたのは司法研修所の教官たちに次ぐ一九七六年男の愚考の納めとでもいうべきことだったろう。雉も鳴かずば撃たれまい、自らその実態をさらけ出してくれるのであるから、女はますます忙しくなるのだ。・・・放っとけば尻つぼみになるのが行政の常であるから、せっせせっせと押しかけてせめて革新県政のスローガンの一つに男女平等くらい入れさせようと思っている。1977年がどんな年になるかもちろんわかりはしないが、女性問題の行く手にラッキーセブンが二つ重なる年であって欲しいものだ。・・・大親分を祭り上げて誰それとサシで話が出来るオレを売り込む男たちの政治はもううんざり。今年こそ、よりはなやかによりやさしく、そしてもちろん猛々しく、女たちのつながりの輪を広めてゆきたい。・・・行く手をさえぎるものは蹴散らし、殴り倒すくらい元気よく、ネ。
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