2002年07月22日(月) |
「イエ意識」1874~1998 |
 (明治以前の人々はみな「事実婚」をしてきた。1874年、日本に初めて「婚姻契約」という言葉が登場し、その翌年1875年に、福沢諭吉を証人として、森有礼と広瀬常が婚姻契約を交わしている。 同性どうしの婚姻契約もあった。1899年、小原染末と安井タメという女性同士が 婚姻契約を交わしている。つまり、明治にはすでに欧米が進んでいた道をたどろうとしていた人たちがいた。
しかし、明治以降の戸籍制度の確立、「家制度」の登場により 人々は引き戻されてしまった。)

血縁にもとづいて編成された人民の集団を「戸(こ)」といいます。卑弥呼から約500年後に古代律令体制が成立しました。 古代律令制下の戸は、複数の世帯からなる大家族(複合大家族)で、1戸あたりの平均人数は20数名でした。 律令国家が人民を戸単位で掌握するために作成した基本台帳が「戸籍」で、租税(調・庸)を賦課するために作成した台帳が「計帳」です。計帳は毎年作成され、戸籍は6年ごとに作成されました。
古代の「家族法」では、相続権は、男女ともに相続する、妻の財産が独立したものとみなす、となっていました。大宝律令は、中国(唐)をモデルにつくられたものですが この条文は中国の男子相続とは異なる日本独自のものです。 また、婚姻可能年齢は男15歳・女13歳(男女差2歳)となっていました。
しかし、やがて、律令制の変容とともに、戸籍制度は効力を失っていきました。
民法編纂は1870(明治3)年司法卿・江藤新平のもとではじめられました。この民法(旧民法)は、フランス法学者ボアソナード指導のもと ヨーロッパ風の家族制度(個人の権利を重視)を基準とされていました。 ところが、東大教授・穂積八束(ほづみやつか)や法曹界・政界の保守派は、日本は天皇制的家族国家であり、キリスト教思想にもとづくヨーロッパの家族制度をそのまま取り入れようとするこの民法は 日本の美風をそこなうと非難しました。 そして、ボアソナード民法を大幅に修正し、戸主(家父長)が家族を従属させる「家」制度を成文法化し、男女「不平等」に基づく明治民法(新民法)が1896年・98年に公布されました。 この戸籍が登場したとき、「これは人権上許されない」と 江藤新平のあとを継いだたくさんの人たちが批判しました。政府の保守的な人たちも「この制度は命脈50年」つまり、やがて人権意識が人々の中に高まってくれば廃止せざるを得ない、50年で潰れるだろう、と言っていました。明治政府も、戸籍制度が潰れてもいいように、別な制度(欧米を真似た身分登記という制度)を一方では用意していたのです。 ところが、実際この制度を存続させたまま もう100年を過ぎてしまいました。この国は「50年では潰れない」、「家制度」で国民を引っ張っていくことが出来るという自信を手に入れました。
●史料 民法(新民法)
第749条 家族は戸主の意に反してその居所を定むることを得ず。 第750条 家族が婚姻または養子縁組をなすには戸主の同意を得るこ とを要す。 第813条 夫婦の一方は左の場合に限り離婚の訴を提起することを得。 一、配偶者が重婚をなしたるとき。 二、妻が姦通をなしたるとき。 三、夫が姦淫罪によりて刑に処せられたるとき。・・・ 第970条(家督相続人の順位) 一、親等の異なりたる者の間にありてはその近き者を先にす。 一、親等の同じきものの間にありては男を先にす。
(出典「官報」) 明治民法は、「妻は婚姻によりて夫の家に入る」と定めていました。 「家とは戸籍のことである」と定義しています。欧米には「戸籍」は翻訳できないので、「戸籍」を「家」と言い換え、「家」を「ファミリー」と訳させ、非近代的な「戸籍制度」の説明をさけました。 「夫の家に入る」といっても、実際には夫の「戸籍」「氏」に人ったわけです。だからΓ入籍」という言葉ができ、妻は夫の氏を名乗ることになりました。
1947年の5月3日に新憲法ができます。「個人の尊厳」「両性の平等」を大きな柱にしました。 しかし「家制度」は まず「家」が大事で、個人の尊厳を否定しています。また「家」は家父長制ですから男系優先で「両性の平等」にも反します。旧民法と新憲法とは両立しませんから それから半年後(翌年の1月1日)新民法ができました。
しかし、「家]とは戸籍のことですから、戸籍を廃止しなければ「家」を廃止したことにはなりません。この間、「日本国憲法の施行に伴なう民法の応急的措置に関する法律」に基づく「戸籍法の取り扱いに関する通達」では、「家とあるところは戸籍と読み替えて仕事をせよ」と言っています。元々「戸籍」と書くべきところを「家」と書いたのが、新憲法になり「家」が使えなくなったために、「家」を「戸籍」と読み替えろ、ということでした。 1948年にできた新民法が現在の戸籍法になります。そこで、今まで「家」と書いてあったところはすべて「家」は「氏」に変わっていました。 つまり「家」と「戸籍」と「氏」とは全部イコールで結ぶことができるわけです。
この状況を大きく変えたのが、1960年代末から70年代の初め頃に起きた女性解放運動(リブ運動)でした。 60年代末は世界中がスチューデントパワーといわれる学生運動も栄えた時代で、そういう中で、「子どもに対する差別はおかしい(婚外子差別の撤廃)、夫婦が同氏であることを強制されるのはおかしい(夫婦別姓の容認)」の声も生まれてきました。 そしてこの2点は、リブの運動がなくなったあと、フェミニズムに引き継がれ、国を動かしてきています。
リブはもう一つ、「結婚そのものを疑う」という大きな問題提起を残しました。いわゆる「事実婚」といいますが、戸籍制度は婚姻を届けてもらうことによって成立するので、これは戸籍制度と真っ向から対立することになります。
欧米では、婚外子差別の撤廃、「事実婚」の容認は もう確立してしまいました。それは婚姻契約の受け入れにもつながり、「同性結婚の容認」に進んでいます。個人は完全に自由であり、一つの尊厳として見なされ、幸福の追求単位と考えられるならば、当然その人たちの幸せの追求権を保証しなければなりません。すでにカリフォルニア、デンマークでは同性結婚か確立されています。 人権擁護の大きな流れの中で、日本も、民法の改正により、夫婦別姓と、婚外子の差別(2対1の相続差別)の廃止を明確にうたっています。さらにその先には「事実婚の容認」、「同性結婚の容認」が必ず人ってくるでしょう。
部落では、結婚差別の被害者が自殺する事件が相次ぎ、当時すでに戸籍制度が大きな問題になっていました。これをテーマに取り上げて、岡林信康などが歌を作り、そして一人の女性が「未だに壬申戸籍(戸籍が登場した明治5年が壬申の年だったので、「壬申戸籍」と呼びます)と同じように被差別部落の出身者であることが「エタ」と厳然と記載されている戸籍を発行してくる、謄本としで証明される、そんなものを許していいのか」と朝日新聞に投書しました。明治5年(1872年)は、「解放令」が出た翌年であり、部落民の場合も戸籍の族称欄には「平民」と書くべきところが、「旧穢多」「新平民」と書かれる場合もあったのでした。 この投書が始まりで、部落解放同盟は壬申戸籍の廃止運動を起こし、壬申戸籍は全部ダンボールに入れて封印され、法務局の倉庫に送られました(1968年)。
それから約40年後の、平成9年度定例会で、高知県議会議員の森田益子さんは以下のように訴えておられます。 「大概の結婚の問題に、血が濁る、先祖に申しわけがないとよく言われます。今回のケースも私の孫の相手の母親も、自分の命にかえても部落とは縁を結びたくないというのは、一体このような社会意識は、日本古来からの家意識、汚れ意識の差別文化とも言えるのではないかと思われます。このような考えが女のお産を汚れとして扱われたり、そして今も多くの被差別部落が氏神様の氏子にさえされておりません。いわば、神様も私たちを汚れ多い者として忌み嫌ってきたのです。」
戸籍制度によって不利益をこうむるのは部落の人だけではなく、このことから 部落解放運動では、新しい戸籍制度(出生届、婚姻届、死亡届などの個人情報の分散によって、個人のプライバシーが守られていく制度)の成立を求め、婚外子差別の撤廃、夫婦別姓の容認、事実婚の容認、同性結婚の容認等に取り組む人たちと連携していくことが ますます必要であると言えます。
(次回は「ケガレ意識」との対話のために です)
参考:九三年の「総務庁による国民の意識調査(二万四千八十人対象)」より 部落外で、結婚にさいして「家柄をいつも気にしている」 一四・〇㌫、 「おかしいと思うが、自分だけ反対しても仕方がないと思う」 三一・〇㌫、 「まちがっているから、なくしていかなければならないと思う」五三・五㌫ (今日でも四五・〇㌫もの人びとが、結婚にさいして相手の「家柄」を気にして いる風潮がある) 参考文献・資料 「高校日本史講座」(松井秀行) 「戸籍がつくる差別」(佐藤 文明) 「人権のあゆみ」(解放出版社)

>補足 現在の戸籍は、氏を同じくする夫婦および未婚の子をワンセットに編製しています。 よって、氏を持たない天皇・皇族は皇統譜、姓(family name)を氏とはみなされていない外国人は外国人登録で管理されています。 戸籍簿の管理は法務省の監督下、本籍地の自治体が行っています。 今日、戸籍制度を持つのは日本、台湾、韓国の三地域だけです。これは、日本が殖民地支配をしていたときに、1896年「台湾戸籍に対する告示8号」、1920年「朝鮮戸籍令」などによって強制してきたものです。朝鮮民主主義人民共和国は1945年、日本支配からの解放とともに戸籍を廃止しています。 台湾・韓国に今も戸籍が残されているは、両地の支配に貢献していると同時に、出身地差別や女性差別の温床として批判もされています。
2003年3月の第6回GID(性同一性障害)研究会(司会:東京家庭裁判所医務室・精神科医・針間克己さん)で、神戸学院大学法学部教授で、法と生命倫理の専門家である石原明さんが、性別変更を考える際に大きな問題となる戸籍制度について「歴史的に見れば、徴税、徴兵、土地政策など、国のための制度であり、個人のためのものではない」と指摘しています。
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