| 2002年11月16日(土) |
姫だるまの女性差別問題1956~1976 |
☆世界はいくつあるでしょうか。
世界は一つという言われ方がありますがワタシは、一人一人はみな自分の世界を持ち、世界は人間の数だけ存在しているとも思います。しかし、自分の世界には自分の力や科学や医学の力を借りてもどうにもならない部分があり、それは例えば、この時代、この国、親であったり、生まれおちた所、自分の性などだったりと思います。
☆女性に生まれて損だと思うこと、男性に生まれて損だと思うことは何でしょうか。
性について、女性に生まれて損だと思うこと、男性に生まれて損だと思うことはいろいろあるとは思いますが、現在では国連での論議を通して、男性にできて女性にできないことは「無い」と言われ、また、女性にできて男性にできないことは「妊娠」「出産」であると言われています。 第二次世界大戦後の現象として、男女平等とは何かの問題は国連で国際的に取り上げられていたのです。それは様々な国の男女平等とは何かの考え方が、そこでの論議に反映されていました。一言で言えば、国連での男女平等とは何かをめぐる論議は「機能平等論」克服の過程を物語るものであったでしょう。
「機能平等論」とは、女性を弱い性とする「特性論」、子供の養育は女性の責任とする「役割論」に基づき、個人としての特性を無視して男女を異なって扱うことを肯定する考えをいいます。 国連でさえ、初期は1965年にILOが採択した「家庭責任を持つ婦人の雇用に関する勧告」に見られるように「役割論」に立脚したものでしたから。 なぜこれを克服することができたのか、どんな論議がなされ、どのような理由で克服されたのかの背景に、婦人の地位委員会の活動があったのです。差別の実態についての幅広い調査を行い、専門知識を有していたところでした。
審議経過はまず、1956年に開催された第11回国連総会では、審議が混乱し、女性は子供が扶養を必要とする全期間にわたって保護を必要とするという作業部会案に練り直されました(原案は、女性に対する保護を妊娠後期・出産・母体の回復期及び授乳期に限定していました)。それは「役割論」に基づくものでした。 これに対し、スウェーデンは ①女性に対する保護は生物学的性差に基づく出産保護に限定しなければならない ②保護は不平等の原因ないしは口実となる ③子供の養育は父母の共同責任としたうえで、その間は男女に対する保護をしていかなければならない という修正案を出しました。 スウェーデンの修正案に対しては、ドミニカ、フランス、エルサルバドルなどの代表も賛成しました。 一方、チリは作業部会案とスウェーデン案との折衷案を提出しましたが、それを支持したチェコスロバキアの代表は「我が国では母が養育することは、父が職業活動を行うことと同等な重要な任務とみなされている。したがって母には子供の養育について十分な保護が与えられなければならない」と発言しました。
表決結果はスウェーデン案は、賛成55、反対8、棄権6で可決、チリ案は賛成19、反対34、棄権12で否決されました。 つまり、1957年の実質的審議を経て、国連の論議はごく初期の時期に「機能平等論」の根拠の一つとされてきた「役割論」を克服していたのでした。
その後の、性による差別問題に関しての国連や婦人の地位委員会や各国の女性解放運動の展開は、婦人差別撤廃宣言(1967)に結実されました。 また、どんなに理想的な宣言を採択しても、現実に実施されないなら無意味です。そこで、婦人の地位委員会は経済社会理事会に勧告して、広報活動と2年ごとの報告書作成の制度を発足させました。
☆何歳になったら認められますか。 (これらは、日本国籍を持つ人に与えられる権利の一部です) 1.名前を持つ 2.小学校へ入学する 3.自動車免許を持つ 4.結婚する 5.選挙で投票する 6.選挙(知事)に立候補する
答えを発表します。 1.0歳 2.6歳 3.18歳 4.男性18歳 女性16歳 5.20歳 6.30歳
さて、権利を手に入れるのに、なぜ年齢が決まっているのでしょうか。こう考えると、責任の重いものほど、年齢が上がってから権利が認められることがわかると思います。 これによると、婚姻適齢は男女で2歳の差があり、婚姻は女性より男性のほうが責任が重いと日本は法律で定めていることになります。これは明らかに差別でしょう。 日本の民法の婚姻用件の中にはそれ以外に、前婚の取消・解消から6ヶ月の再婚禁止期間は女性だけに課された婚姻制限である、妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子とされ、摘出否認権は夫にのみあるなどの差別的規定があります。
男女平等を実現することを目的とした国際協定は婦人差別撤廃宣言をはじめとしていくつか存在しますが、宣言には法的拘束力がありません。したがって、法的義務を課している国際人権規約の批准、更にそれをカバーする包括的条約の採択が必要であるとの意見が加盟国の大多数をしめるようになりました。女子差別撤廃条約(1974)がこのような背景のもと成立されました。日本は1985年に条約を批准しました。
女子差別撤廃条約では、「婚姻をする(男女)同一の権利」を確保するために締約国はすべての適切な措置を取らねばならない(16条)としています。日本の民法の中には、条約の線にそってただちに改正の道を開かなければならないものに、婚姻用件の他にも、夫婦の氏についての選択制度、非摘出子に対する差別的規定が残存しています。 ☆男女平等の判断基準が 裁判官の価値観に左右されてきたのはなぜ?
日産自動車男女差別定年制事件では、審理を行った裁判官により食い違う判断が出されました。上記会社では定年を男子55歳、女子50歳と定めており、解雇された女性が裁判を起こしました。仮処分では「女子の生理機能水準は男子に劣り、女子55歳のそれに匹敵する男子の年齢は70歳位になる」(昭46)と訴えを却下しました(これは二十年前、当時早老が顕著とされていた秋田の一農村の男女のハゲ、白髪、顔のシワ、歯の抜け具合などを調査したグラフによるもので、差別を認定したかった裁判官の見つけたこじつけといえるでしょう)。 が、一・二審では「差別定年制は性による差別である」とし、最高裁は「60歳前後まで男女とも職務遂行能力に欠けることは無い」(昭56)と判決を下しました。 一般に、平等の判断基準を客観的なものとして理論化することは容易ではないため、その具体化を判例の積み重ねに委ねてきたことが、いかに危険な試みであったかを この事件は露呈していると思います。 法や制度が変わったからといって、人々の意識や社会通念は直ちに変化するものではありません。しかし、憲法の定める法の下の平等の保障が、判断者の価値観や個人観、世界観によって左右されるような社会は、男性にとっても女性にとっても住みよい社会であるとはいえないでしょう。
☆婦人民主新聞より(1976年11月5日号)
この現代の「魔女裁判」 問われる裁判官の本音
・離婚 女遊びにふけり、かけごとに走る夫に愛想をつかして家出した妻からの離婚訴訟を却下した下級審判例(1955年) 「①原告が年齢50歳で女性としてはすでにその本来の使命を終わり、今後はいわば余生のごときもので、今後において花咲く人生は到底これを期待し得ないと考えられるのに反し、被告は漸く齢49歳に達したばかりで・・・人間として漸く成熟しきったと認められるので、男子としての真の活動は、今後において期待し得られる事情にあること②客観的に見れば、原告が被告と離れ、若干の収入を得て、寂しく一人身の生活を送るよりも、幸福であることを幾増倍であると考えられる③被告のみを非難しないで原告も十分反省を加えれば、将来夫婦間の円満な結合の回復の可能性もあると考えられる」 民法は七七〇条で不貞などの離婚事由を定めているが、その二項で裁判官の自由裁量を認めており、夫婦のあり方に関する裁判官の価値観が大きくものをいう。
・未婚の母(竹内判決) 幼稚園の教諭をしていたK子さんが園児のチチNと交際し妊娠。産んだ子はNに奪われ、K子さんが人身保護請求を起こしていた。 「幼稚園の教諭の身で園児の父と情交関係を結び、生まれる子にとって所詮私生児という不幸な境遇になることが予想されるのに、その養育に確たる見込方針もないままに、被拘束者(子ども)を産んだ態度から、請求者の被拘束者に対する真の愛情については疑問なしとせず」
・教育 私立城石高校は女子にとって大切なことは「そうじ・おじぎ・みだしなみ」という儒教教育を行っており、1969年の生徒総会で生徒がこれを批判。生徒を支持した竹内洋子さんを解雇した。学校側が出した十三項目の解雇理由は証拠もないまま採用。卒業生などの証人、証拠は「信ずることはでいない」と却下され、「従順な女を育てる女子教育を支持し、反抗する女はキル、まるで現代の魔女裁判です」と竹内さんは怒りをこめて告発する。 証拠や証言をとりあげるか否かは一切裁判官の自由な判断によるが(自由心証主義)裁判官の資質と価値観がどうしても問題となってくる。 ☆私たち日本の女性は一人の女性によって幸せが与えられたということ
これは戦前有名だったピアニスト、レオ・シロタさんの娘であるベアテ・シロタ・ゴードンさん(米国女性)は、占領期GHQ司令部に勤務していて、日本国憲法草案に男女同権を書き込んだ。 「日本に残っていた両親に会うため、民間人は来れなかったので、軍属として1945年12月24日、焦土と化した日本に来た。憲法草案制定委員会のメンバーに選ばれた。極秘の仕事だったので、1カ所の図書館だけだと、なぜ憲法に興味をもつか疑われると思っていろんな図書館にいった。朝から晩まで憲法の本を読んだ。日本の女性にどういう権利が必要か?を考えた。「両性が社会的にも法律的にも平等であるべきだ」と書いてマッカーサーの運営委員会に上奏した。 運営委員会のメンバーは、40代以上の男性ばかり。彼らは、草案にあった社会福祉に強く反対した。婚姻・離婚その他に関しては「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する」ということばが残った。運営委員会が私の書いた草案を縮めたのにはがっかりした。私はそのとき22歳だった。」(2001-11-4 講演「男女平等の社会を!~日本女性の幸せを願って~」より)
☆(参考)実は、男に生まれるとこんなに大変なのです。
資料「ことわざ医学事典」(朝日新聞科学部)より
・不慮の事故(二十歳未満) ①鉄道にひかれる 女子の3倍 ②自動車にひかれる 女子の4倍 ③高いところから落ちて死ぬ 女子の3倍 ④上から落ちてきたものにぶつかって死ぬ 女子の10倍 ⑤火傷で死ぬ 女子の2倍 ⑥ガス中毒で死ぬ 女子の3倍 ⑦溺れて死ぬ 女子の3倍 ・死ぬほどではないにしろ ①おねしょ 女子の3~5倍 ②非行 女子の10倍以上 どちらが得なのでしょう(笑)。 (to be continued)
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