ずんだいありー
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2005年01月17日(月) ちょーしよー

趙紫陽が死にました。

天安門事件が起きたとき、高校1年生。
まだ、政治や社会に関心が低かった頃、事件が起きた。

進学した高校は新設の「国際」「外国語」のつくところ。
第2外国語の選択が必須で、自分は中国語を選択していた。

高校1年の時はそれほど気にとめなかった天安門事件。
単純に中国語を習っている時にその国で起きた学生運動、としか思わず。
その後高校2年になり、中国語の先生が変わったところからその関心の
度合いも日に日に変化したんだよね。

先生は天安門事件のときに毎日新聞でアルバイトをしていた人で
外大の学生を経て、中国に留学をしていた時に事件を見たのだと。
定かではないが、毎日新聞の中国支局は天安門に近いところにあり、
そこから人が戦車にブッリブリにひき殺されていくのを見たのだという。

全部、「確か」っていう前書きがついちゃうんだけど、そのときに習ったのは
この天安門事件は民主化寄りだった胡耀邦が亡くなった追悼集会から
運動が起きて、総書記を引き継いだ趙紫陽がその学生運動の場でハンドマイク
持って学生の擁護を行う発言を行ったんだよね、確か。
で、そこから趙紫陽が解任されたのか忘れたけれど権力闘争が発生して
��小平寄りの李鵬首相や、楊尚昆が総書記になってて穏健派の鏡だった
趙紫陽はそのまま軟禁されたんだったと思う。

で最近の写真をウィキペディアで見たけれど、思っているよりもずっと老けてて
別人のようだった。なんでも、自宅軟禁といってもスーチーさん
よりもずっと自由を享受できたし、共産党員の立場も保持できたらしい。

あの、ハンドマイク持って泣きながら学生にアナウンスをしていた趙紫陽は
指導者として改革・開放を訴える学生とココロを分かち合う印象を受けた。
遠く離れた中国の出来事ながら、そして事情も分からない高校生ながら。

中国当局の監視が外国人に対して非常に強かった頃。
ベルリンの壁が崩壊したかしないかくらいの頃。
ソ連が崩壊する前の頃。

たかだが15年前なんだけどね。
15年で世界の事情も本当に変わるんだなぁと強く思う。
2000年に初めて訪中したとき、自分の知っている、と思っていた中国は
ことごとくなくなってて残念に思ったことを思い出した。

郷愁の念?というかレトロな思いを他の国に寄せるのはちょっと危険なんだけど
それでも自分が知っている、初めて知った中国、それはシルクロードであり、
中国語講座であり、そして中国語と現代社会の授業で学んだ天安門事件、
崔健だったり、そのときの中国をもう一度見ることが出来たらって思うな。


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