今日一日で二件も少なからず繋がりのある方の訃報を聞きました。 二件目は親戚だったのですがかなり遠いこともあってあまり実感がありませんでした。だのに一件目、血のつながりのない方の訃報を聞いたとき、私は静かに泣きました。話したこともない、けれど私はよく知っていた人。 私がこんなことを思うのは出しゃばりなのかもしれませんが、今ここで餞の言葉を贈りたいと思います。
話したかったです、貴女と。 それが叶わぬ今、いつかあなたのもとへ、花を捧げに行きます。 代わりに花を捧げます。 そのとききっと、私はひとりではなく二人で。 いえきっと、三人で貴女に会いに行くでしょう。 貴女が愛したかわいい彼と彼が愛するこんな私。 二人が愛するいつか生まれる子供と一緒に。 花を捧げに行きますから。 どうか、安らかに。
・・・なんだか切ないです。微妙に近いところにいる人の死って。そしてそこに一番近い人が悲しんでいるのを見るのが辛いことです。 私が気にとめるべきコトじゃないのかもしれません、ハタから見れば。偽善と思われるのかもしれません、もしかしたら。 けど、素で辛いです。ホント、冗談抜きで。 私はこんなに優しかったのかな。 もっと悪い子だと思ってました。 いや、自分をいい子と声を大にして言えるほど立派ではありませんけど。けれど、そんな私にもいっちょまえに人の死を悼む心があるんですね。 去年の9月5日、同じような気分になって書いた詩があります。
ナキガラ
この世から人ひとり いなくなることの寂しさ それはたくさんの人の死よりもリアルで けれど泣くことはできなくて 胸の奥に
「ちくり」
何かがささったまま
形あるものすべて 壊れてゆくというけれど その壊れた「ナキガラ」だけは残るから 消えてなくなりはしないから せめてその思い出(ナキガラ)だけを胸に抱き 忘れずにいることで 花を捧げよう
・・・今回は泣いてしまいましたけどね(^^; 上手くまとまりませんが今日はこの辺で。
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