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学費(転職の)を親に出してもらってることを責められる。 でもねー。
わたしは親からお金を貰うことでしか愛情を感じられない。
逆に、 おこづかいをいただくと、 「あー愛されてるんだ」 「子供だと思ってもらってるんだ」 って、感じる。
家族の中のお金ってあつかいがむつかしい。
「やだー親からお金貰ってるなんて信じられない。 わたし大学生のとき周りの学生に言ってたの。本当に好きなことやるのに人のお金使うな、って」 って、夜学を働きながら自分一人の力で卒業した (学費も生活費もすべて自分で出した)女の子にいわれる。
「まだふっきれてないんだねー」 って哀れまれるように言われた。 (哀れまれるの死ぬほど嫌い。なんていうか、プライドみたいなものがゆるさない。むっとする。意外かも知れないけど)
でも、本当にその人がふっきれてたら、わたしなんかを責めないんじゃないかな、って思った。 本当は吹っ切れてないから、本当は親からお金出してもらったり、いろいろ、されたかったから人に向かってそんなこというんじゃないかな。 もっと言うと、シンプルな 「わたしは自力でがんばる。」 ってカタチだったら、今現在親と音信不通だったりしないと思う。
そんなことを感じたのだけど、気が弱くて、また、そこまで責任もてないわたしはそんなことを言うのをよした。 わたしはカウンセラーじゃないし。 「包帯をまいてやれないのなら、傷にふれてはならない」 って言葉は、三浦綾子さんの「氷点」の中の言葉だったかな。
あと、 自宅の子から 「わたしならお金なんて貰わない」 っていわれるのも嫌い。 なんだかんだゆって自宅の子は 気づかないうちに親に色々してもらってるんだから(公共料金の払込、ごはん、洗濯、電球が壊れたら取り替える、とか色々ね)。 おんなじなのに。そんなことにも気づかずに責められるのは厭。
お金を貰うのは愛情表現のひとつで、わたしはそれで親の愛情を再確認できる。 そんなことは間違っているのかもしれない。 わたしは貧しいこころの持ち主なのかもしれない。
かなしいけど、そういう愛情の形もあるのだ。
わたしはわたしの両親を完全に憎みきれていない。 それは、おこづかいを貰ってるからというのもあるだろうし、 親だって楽しくてわたしに酷いことをしてるわけではない、って わかってるから。
彼らだって苦しんでいる。 でも、どうしようもできないでいる。
なら、どうにかできる、 自覚している方が何とかするのが責任じゃないかなー って、思うのだもん。
るう
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