S+Rip*blUe
Diary index*pastwill


2003年08月03日(日) お金は愛情

学費(転職の)を親に出してもらってることを責められる。
でもねー。

わたしは親からお金を貰うことでしか愛情を感じられない。

逆に、
おこづかいをいただくと、
「あー愛されてるんだ」
「子供だと思ってもらってるんだ」
って、感じる。


家族の中のお金ってあつかいがむつかしい。


「やだー親からお金貰ってるなんて信じられない。
わたし大学生のとき周りの学生に言ってたの。本当に好きなことやるのに人のお金使うな、って」
って、夜学を働きながら自分一人の力で卒業した
(学費も生活費もすべて自分で出した)女の子にいわれる。

「まだふっきれてないんだねー」
って哀れまれるように言われた。
(哀れまれるの死ぬほど嫌い。なんていうか、プライドみたいなものがゆるさない。むっとする。意外かも知れないけど)

でも、本当にその人がふっきれてたら、わたしなんかを責めないんじゃないかな、って思った。
本当は吹っ切れてないから、本当は親からお金出してもらったり、いろいろ、されたかったから人に向かってそんなこというんじゃないかな。
もっと言うと、シンプルな
「わたしは自力でがんばる。」
ってカタチだったら、今現在親と音信不通だったりしないと思う。

そんなことを感じたのだけど、気が弱くて、また、そこまで責任もてないわたしはそんなことを言うのをよした。
わたしはカウンセラーじゃないし。
「包帯をまいてやれないのなら、傷にふれてはならない」
って言葉は、三浦綾子さんの「氷点」の中の言葉だったかな。



あと、
自宅の子から
「わたしならお金なんて貰わない」
っていわれるのも嫌い。
なんだかんだゆって自宅の子は
気づかないうちに親に色々してもらってるんだから(公共料金の払込、ごはん、洗濯、電球が壊れたら取り替える、とか色々ね)。
おんなじなのに。そんなことにも気づかずに責められるのは厭。

お金を貰うのは愛情表現のひとつで、わたしはそれで親の愛情を再確認できる。
そんなことは間違っているのかもしれない。
わたしは貧しいこころの持ち主なのかもしれない。

かなしいけど、そういう愛情の形もあるのだ。


わたしはわたしの両親を完全に憎みきれていない。
それは、おこづかいを貰ってるからというのもあるだろうし、
親だって楽しくてわたしに酷いことをしてるわけではない、って
わかってるから。

彼らだって苦しんでいる。
でも、どうしようもできないでいる。

なら、どうにかできる、
自覚している方が何とかするのが責任じゃないかなー
って、思うのだもん。



るう |MAIL




 ↑投票ボタン。

My追加
*My追加してくださってるかたどうもありがとう。