シングルペーパーライフ。

リー



 あの事件で思う。
2008年06月12日(木)


中間テストの結果が、返ってきています。

チョダンは理科に自信があったようだけど、

ケアレスミスなんかがあって、点数が伸び悩み、本人はショックだったみたい。

社会は自信がなかったものの、70点はとれると思っていたのに、とれなくて、かなりダメージを受けていました。

大体、勉強の絶対量が少ない。

どうやら勉強の手立てはイマイチわからないらしい。

与えられた通信教材をやり終えたら終わりにしてしまい、社会のように繰り返しやって覚えるようなもののは、1度じゃなく何度も!って思うんだけど、
間違えたりわからなかったところは答えを見て「そっか」って思って終わりなんだろうな。

元々テストそのものも、やりっぱなしで‘時間が余ったら見直し’という概念もない。

これ、いくら口で教えても、本人は、「大丈夫」と思っているみたいなんだよね。

何度も失敗を重ねて、学習するしかないのかな。




なんてことを書いているとね、あー私はかなり勉強にうるさいなーって思う。

ほら、あの最近あった事件。

「親が勉強に厳しかった」とかさー報道あるでしょ。

‘厳しい’ってどういう感じなんだろう?とか、

だって、よその家がどういう風に子どもの勉強に関わっているのか、わからないんだもん。

3人息子がいるとさ、

それぞれの性格を見極めて、勉強に関しても、ほかのことに関しても、こっちのやり方を変えないといけない。

時折、もう、

どうでもいいやーー。親の背中を見て育ってくれ。自由にやってくれって思うこともある。

って親の背中を堂々と見せられるほどのこと、何にもしてないんだけどさ。




今回、チョダンのテスト結果を見て、誉めたり讃えたりするより先に、「何だよー意外ととれなかったねー」とか言っちゃうんだよね。

私、何点なら満足するんだろう。

きっと100点なんだよね。自分だって中学生の頃、100点なんてさ、1回、最初の英語でとったことしか記憶にないっちゅうのに。

98点だったら、それはそれで、誉めると思うけど、「1問間違えたのか」ってひとことを言っちゃいそう。

サイテーだわ。


ただね、もうね、今更手放しで誉めてもさ、本人が素直に受け取る年齢じゃないよね。

もっともっと幼児の頃に、めちゃくちゃ誉めてあげたらよかったって、思うんだよ。

そりゃ、今からだって遅くないとは思うけど。素直に受け止めなくたって、ちょっとね、ちょっとだけ、心の奥で嬉しくなったりするかも知れないから。

幼児の頃・・・チョダンとは意思の疎通が難しかったからなー。

誉めるなんて二の次だったなー。

目を離さず、ひたすら追いかけ、しつこいほどに色々教え、でも習得どころか、マイペースのチョダンを「誉める」ってことなかったなーって。





誉めると本当に自慢そうに嬉しそうにするサンダーを見るたび、人はこうやってコミュニケーションをとってるんだなーって思う。

たまに誉めることがあっても、目を合わせず、聞いていない風だったチョダンに、私ももうアプローチをやめてしまったんだと、今は思う。思うけど、思うけど、し続けてほしかったな。あの頃の自分。








あの事件の彼の背景はわからない部分が多いけど、

親はやっぱり子どもをね、しっかりとね、見てね、育てなくちゃいけないよね。

しっかり見るというのは、色々干渉したり、思い通りにするのとは違う。

子どもがね、笑顔がたくさん出るような、家庭であり、接し方をしなくちゃいけないんだよね。


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