Silent Song
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| 2002年01月29日(火) |
心のキズの後遺症� 福嵎譟廖� |
人に心を開けなくなって どれくらい経つだろう・・・
人を信じられなくなって どのくらい経つだろう・・・
いつになったら 心を開けられるようになるのだろう
いつまで 人を信じられないままなのだろう
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母を信じられなくなりました。
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小さい頃の私は常に母の顔色をうかがって 母を怖がっていました。 常にいい子でいようとしました。 大人しい、従順な子でした。
母にそのままの自分は良く評価されず 他の子といさかいが起きたとき 母は 「うちの子が悪いんですよ」と 迷わず私を責めました。
詳しい事情を知らなくても 「どうせあんたが悪いんでしょう?」 と言われました。
私は劣ってるんだと思ってました。
私の通っていた中学校は 校則でがんじがらめの 絵に描いたような「管理教育」で 先生が生徒を「管理」する場所でした。 教師が生徒に暴力を振るうことは 日常茶飯事でした。
生徒は鬱憤が溜まり 先生もまた 先生同志の大人社会のしがらみの中 ギスギスしていました。
中学時代、陰湿な苛め(イジメ)にあったときも 私は「恥ずかしいこと」と思い 親には内緒で必死で耐えました。 教師も助けてはくれませんでした。
耐えて学校にいきました。
ある日、母が 私が苛めを受けている事実を 保護者面談の時に教師の口から聞きました。
母は 「イジメって今流行ってますものね〜」 と笑って答えました。
・・・・・。
それ以来 私がグズグズしたり 泣いたりしてるのを見ると
「あんたがそんなんだから イジメられるんだわ!」
と叱られました。 私をかばう言葉は一つも聞きませんでした。
・・・・・・・。
母に成績が悪いことを叱られました。
私は一生懸命勉強するようになりました。 良い成績をとると母は誉めてくれました。
高校はトップを争う成績を維持しました。 …それだけが 私が自分の価値を認められる方法でした。
でも大学受験が迫ったある時
私はどうして勉強するのかわからなくなりました。
どうして生きたくないのに イヤな勉強して、良い大学入って 良い就職しなければいけないのか…
どうして なんで生きているのかもわからないのに こんな辛いことばかりして生きなければ いけないのか…
もう人生がイヤになったのです。
私は一番大事な時期に 勉強をする気がなくなりました。
人生にも悲観的になりました。
成績は急落し、 大学も滑り止めの大学に行くことになりました。
大学までなんとか世間のレールに 外れないようにして生きてきたけど
私はもう・・・ 疲れ果ててしまいました。
大学に入って なんとか講義や単位はとってたけど 無気力でした。
友達も 女子大だったから またイジメに合わないために 適当に数人作りました。
表面だけの付き合いでした。 (高校以来の学校の友達は 表面的な付合いばかりになりました。)
大学時代 自分の内面や人生や社会についての 悩みが膨らみ抱えきれなくなり
酷い鬱(ウツ)状態になりました。 手首を切るようになりました。(リストカット) 自殺を頻繁に考えるようになりました。
学生相談室のカウンセラーに お医者さんを紹介され お薬を飲んで通院するようになりました。
その時も 親には黙って通院しました。
親に知られたら なんて思われるかわからなかったから…。
でもこの頃、 私は母に対し、ずっと溜まっていたものが とうとう殻を割って流れ出しました。
部屋に鍵をかけて閉じこもりました。 母とは口も効かなくなりました。
ある日親に病院へ通ってることを 打ち明けました。
お医者さんに 「親と一緒に受診してほしい」と 言われたからです。
母はビックリしました。
まさか自分の娘がそんなに悩んで 病院にまで行ってるなんて 想像だにしてなかったのです。
母は一緒にお医者さんを受診するにつれ 私の苦しみを見るにつれ
少しずつ優しくなりました。 今までの自分を反省して 私のために一生懸命努力してくれました。
やっと私を受けとめ 私自身をそのまま受けとめ 甘えさせてくれるようになりました。
私はやっと 母親を安心できる存在として 安心して心を開けるようになりました。
・・・それ以来 大学を出ても仕事にはつけず 一年間引きこもることになったけど
母はそんな私を受けとめてくれました。 母は私を理解してくれました。 母は私の最大の理解者でした。
世界中誰もが敵になっても 母だけは私の味方になってくれる!
私はそう信じて疑わなくなってました。
・・・・。
私は母の精神的な支えを感じながら アルバイトを始めることになりました。
全てを諦め 引きこもっていた私にとって 見るもの全てが新しく新鮮で 大変だったけど 充実した忙しい毎日でした。
色んな人が優しく楽しく 接してくれました。
パートの先輩のおばさんは 私のことを理解してくれ、 第2のお母さんのように 親身になってくれました。
決して何もかもが満ちたりたり それで自分の中の何かが変わったわけでは ないけれど 心の空白は虚しさはそのままだったけど でも一番楽しい時でした。
「恋」もしました。
それは生徒が学校の先生に片想いするような ファンが有名人に恋するような 「憧れ」の恋だったけど
毎日毎日が切なく楽しく ・・・とても幸せでした。
中身は思春期の時にありがちな 「憧れの恋」だったけど 学校の先生や有名人とは違い 立場的には充分手の届く相手でした。
ある日、その人の方から告白され 「付合って欲しい」といわれました。
私はまるで奇蹟が起きたかのように 思いました。 もちろんOKしました。
・・・・。
・・ところが
神様は意地悪でした。
運命の歯車はまたそこから 狂いはじめました。
奇蹟や幸せの到来と思って喜んでいたのに それは地獄への始まりでした。
その時から何年も 私はその人との関係や自分の気持ちで 深い深い悩みの淵で苦しむことになりました。
自分でも自分の気持ちがわからなく なりました。 言葉で説明しようと思っても できませんでした。
でも人に話さなきゃいけない状況で なんとか言葉を使って説明しようとすると 誤解されたり、逆に批判されたり 理解されなかったりして 余計傷つくことになりました。
私は精一杯 自分の成長範囲で一生懸命 本当に必死でやっていたのだけど なかなか人にはその辛さや苦しさは 理解されないみたいでした。
母にも相談しました。
母は言いました。 「あんたみたいな変な子いないよ」 「あんたは変わってる」 「理解できない」 「あんたが悪い」
・・・・・・。
母を信じられなくなりました。 一番信じてたものが 壊れていきました。
安全な心の支えが形もなく 崩れていきました。
母だけは自分を理解してくれる人だと 信じていました。
例え周りが皆敵に回っても 母だけは味方でいてくれると 信じて疑ってませんでした。
母はもう子供のころの母ではないと 思ってました・・・・。
母を200%信じてました。
疑いなく信じていた分 ダメージはとてつもなく大きいものとなりました。
私はその日以来 母には心を閉ざすようになりました。
信じられなくなりました。
どれだけ辛くても苦しくても一人で抱え、 親には平気なふりをして無理をしました。
心で血を流しながら 親には「大丈夫」と微笑みを作りました。
・・・・そうするしかなかったのです。
母は今 涙を流して その時のことを「後悔してる」といいます。
「今は違う」といいます。
「あんたをここまで追い詰めたのは」 私のせいだ。」と・・・。
…でも、もう私は信じることができません。
信じることができないのです。
200%の信頼が崩れたとき もうどう頑張って修復したとしても 70%ぐらいまでしか戻せないのです。
今でも「母は本当の自分をそのままの自分を 決して肯定はしてくれない」ということを 感じてます。
周りが皆敵に回ったら 親もきっと私を責めるでしょう。
皮肉にも 最初から最後まで私を そのままの私を信じてくれたのは 否定しなかったのは
「彼」だけだったのです。
苦しい元凶となってしまった 「彼」だけが
皮肉にも 私の「唯一の味方」であったのです。
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