Silent Song DiaryINDEX|past|will
![]() あの日・・・・。 昨年の末、 私が連れと揉めて別れる(連絡を断つ) 事体になった時(私が悩んで考えて決めたことなのだけど…)、 私は壮絶な状況になりました・・・。 (一日の間だけでしたが) 自分で決めたことなのに、 もう言葉で語りつくせない 辛さと悲しさと恐怖と胸の痛みで 一分、一秒も生きているのがやっとの 状態に陥り、 もう、堪らなく辛く、 本当に、辛くて辛くて気が狂いそうで 涙は垂れ流し状態、 何もする気力がなく布団に寝込み 辛さから逃れるために自分の腕をボコボコ殴り、 ベランダから飛び降りても おかしくない衝動に駆られてました。 ただ、今の”苦痛”から逃げたかった。 母はただもう、心配で気が気じゃなかったようで、 寝ている私の傍に付きっ切りでした。 私が「別に傍にいなくてもいいよ」と いっても、離れませんでした。 私はとうとう、辛さに耐えかね、 ビニールテープを持ち出しまして ハサミである程度の長さまで切って 「死んでやる」とつぶやきました・・・。 (連れの携帯にも 「死んでやる」なんてメール入れました・・。) 私の「ココロ」はとにかくもう、 どんな手段を使っても連れを必死で 取り戻さないといられない状態でした。 でも 私の「理性」はそれを許さないよう、 必死でそれを抑えようとしました。 連れに電話すれば、多分元通りになる。 …でも、そうしたらまた 苦しむだけ、悩むだけってわかってたから 必死で連絡しないように抑えてた。 でも、感情のほうが痛みが、 圧倒的にすさまじく 私は耐え切れなかったのです・・・・。 母は「死ぬ」と言った私を見て すさまじい恐怖を感じたのでしょう。 「死なないでよう!!」 「あんたに死なれたら、お母さん辛いよ!」< 「お母さんは…「親」は…「子ども」に、 どんな状態でも生きて貰いたい。 例えそれは親のエゴかもしれん。 あんたは死んだほうが楽かもしれない・・。 でも親にとっては生きてくれるだけで、いいんだよう!」 嗚咽を漏らし、大泣きしながら叫びました。 そんな母を見たのは何年ぶりだったか・・・・。 母はその後、オェ、オェと何度も吐きました。 (胃に食べ物がなかったので胃液が出るだけでしたが…) …きっと、精神的な負荷がたたりすぎたのでしょう。。 私は慌てて、母の背中をさすり 隣の部屋にいる、父を大声で呼びました。 父はその様子をみて、 「何をやってるんだ、一体どうしたんだ」と 静かに言いました。。 二人して泣いてる妻と娘に ただごとでない事体なのに、 なんて声をかけていいかわからずに 途方に暮れたように、ただ座ってました。 ・・・正直、なんて冷たいだろうって思った。 あなたの奥さんでしょう・・・。 どうして優しい言葉をかけてあげないの? お母さん、こんな状態になってるのに…。 (もっとも、私が原因なんだけど…さ…) そして、私の父親なの? 本当に精神的に私を心配してるの? あなたの子供なのに・・・。 ・・・それはともかくとして、 その母の様子をみて、私は思いました。 ・・死ねないな・・ ・・・って。 自分の家族、我が子に死なれることが、 どれほど、精神的に辛いことか…。 まざまざと見た気がしたから・・・。 私は自分が「死にたい」側だから 「死なれるかもしれない」側の恐怖を 理解できなかったのかもしれない。。 自分のことで精一杯で・・・。 ・・・・・・。 その後、私はこう思うようになりました。 「できるだけ母が死ぬまでは 死なないようにしよう」って。 私は何もできない娘だけど、 性格の歪んだ、未熟な… 本当に迷惑と負担をかけ続けるだけの 子供だけど、 他の人みたいな親孝行はできないけど・・ 生きてることが地獄だとも思えるくらい この世の中で生きるのが苦痛でも、 辛くても、傷つき続けても・・ 社会に適応できなくても、 それでもこの世に存在すること・・・・ それが私が母にしてあげられること…。 ただ生きているだけで【親孝行】なのだと。 情けないけど、 私が母にできる最大限の「親孝行」なのです・・・。 今でも母は言います。 「生きていてくれるだけで、お母さんはいいんだよ」 ・・・・と・・・・・。 ------------------- ちなみに連れとは今も関係は続いてます。 その事件?をきっかけに、自分から別れることは 無理なのだと良くわかった気がします・・・。
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