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■ 梅コマより帰還
昨日の深夜に大阪エリザベート3連戦から帰ってきました。 「こだま」での移動はやっぱり時間がかかりますねー。 腰の痛みに響きました。
家に着いてTVをつけたらいきなり 「あそこに見えるのが『エリザベート橋』ですね」とNHKのアナウンサーが ブダペストから生中継中。 ・・・これはくづきへのドッキリですか?(笑)
27日のマチソワと28日のマチネを観てきた訳ですが、なんかアクシデント が多い公演で・・・。
グリュンネ様は「将軍」に格上げされるは、「私だけに」で舞台上のキャット ウォークから天使の羽根みたいなホコリが降ってくるは、ハンガリーで吹っ飛 んだシシィのネックレスを金トートが優雅に付け直してあげるは、ついでに客 席からはキャストに掛け声が飛ぶは・・・ハ〜何ですか。 演劇の神様のネタ大放出日ですか!?って位の3公演でした。
いや、でもね、舞台は良かったよ。
先週の500回は勢いがあって面白い舞台だったのだけど、今回は3回とも 観終わった時に「エリザベート」という女性の生き方について非常に考えさせる ものがありました。 今回のくづきの観劇テーマは「トートはなるべく視界に入れない」。 コレです。 いつもトートに気を取られ過ぎなのよ、自分。 レビューの主語も「トートがこうしたからシシィはこう動いた」みたいなのが 多いでしょ。
そのおかげなのか何なのか今までの疑問点とか気になっていたところとかが非 常にクリアに見えました。
今回観て帝劇や名古屋と一番印象が変わったのは高嶋ルキーニ。今までの東宝 エリザのルキーニってトートの影だったり、下僕的だったりって印象が強かっ たのですが、梅田のルッキーは彼が全ての流れを作ってる感じがあって「お おー!」と思わされました。 ルキーニの裁判のはずなのに物語の進行はトートによって行われる・・・そう いう座りの悪さが帝劇の頃にはあってそれが結末に到る混乱、「結局のところ この物語の主人公は誰だった?一番言いたかった事は何?」という問題を引き 起こしていたと思うのです。初演、再演ではトートもしくはシシィが締める形 に持っていったのでルキーニはあくまで最重要脇役で良かったんです。
でも、今回はそれでは話がまとまらないのは皆さま御存じのとおり。 結末がエンドレスループに見える。え?最後のシーンにルキーニいた???な んて事態を呼んだ訳です。 大阪でのルキーニは最後に自分で首締めてますが、帝劇では首に縄がかかった 死体姿でコソっとトートの足元にいたんですよ。たいていのお客はいつのまに かセリで上がってきて動かないままのルキーニよりも、棺に納められたシシィ やトートの方を観ちゃうのねん。
以前のくづきのレビューを読んでいただくと物語の展開を「チェス」にたとえ ている事が何度かあります。それは再演までの演出で「命」の象徴としてチェ スの駒が使われいたからなのですが、それはあくまでトートの物だったのです よ。トートがシシィを手に入れる為に人々や世界を駒にして彼女を追い詰める ゲームをしている・・・というイメージ。 ゲームマスターとしての役目はトートに与えられていたのです。 対して今回の大阪公演ではその役割は完全にルキーニの手に渡されていました。 夏の名古屋でもその片鱗は感じたのですが、今回の大阪公演でハッキリとその 事実と結果を見せられましたねー。
ルイジ・ルキーニは「皇后エリザベート」を殺した。 しかし「シシィ」は殺していない。
演劇ってのはライブだねー。
続きを書きたいのですが今日はこれから仕事で接待夕飯へGo!なのです。 接待しながらの食事って激マズだから嫌いです。
で、やっと接待が終わって家に帰ってきました。
今日もNHKではドナウ河をめぐる旅を放送中。 「皇后エリザベートが愛したハンガリー・ブダペスト」というタイトルで エリザベートの生涯を辿るように彼女の半生やゆかりの地を案内してます。 明日はハンガリー北部の村の紹介ですが、明後日1日はウィーンです。 19:30〜20:45まで「モーツァルトが演奏した王女マリア・テレジアの離宮 シェーンブルン宮殿」だそうです。
2004年11月29日(月)
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