花が咲いた - 2003年03月30日(日) 気がつけばもう1ヶ月半、家や病院でじっとしていた。 その間、家族以外の人と話したのは・・・ 正美ちゃんと、入院仲間であった同室の二人だけだ。 まあ、もちろん自分がある程度人と応対できる時期が限られていたせいもあるけれど。 入院仲間の人たちとは、環境を同じくしているという意味でいろんな不安を話すことができた。たぶん、ほかの人ならば 「だってそれも幸せのうちじゃん」とかいうことでまともには取り合ってもらえないことを聞いてもらえた。 一週間あまりの時間で、彼女たちが真剣に落ち込んで泣いたりしているのを 見たりしたのも記憶に残っている。 自分ではどうしようもないことで言い知れない不安に陥ったり、何ヶ月も自分のない暮らしを強いられたりしても、人は相対評価で幸せをはかるもの。 でも。 人って結局、同じ立場で、おなじ程度に幸せで、同じ程度に不幸な人としか 分かり合えないんだろうか。(そんなのつまらないし、嫌いだ。) それに。 自分が相対的に幸せなら、自分より相対的に不幸な(だれが決めるのかといえば、それは主観で決めるんだろうけど)人のことをどうしてもあげられないんだろうか?しあわせなモンの言うことなんて…。無力なのかね。 この間久しぶりに落ち込んでいた人にあった。微々たることかもしれないが 彼のにぎやかしになれればと思い、メールをたまに送る。昨日メールしたら、何回かのやり取りの後、「今日、2回目の自殺未遂した」と。もう1対1では対処できないけど、みんなで何とか助けてあげたい。彼にとって見ればほかの人すべてが自分以上なのに、彼はそういう自分たちを素直に期待しているから。 だけど、自分のことを報告することがどうしてもできない。本来ならむしろ、本当に卒業したって改めて伝えるいいチャンスなんだけど。相対的シアワセというやつが、相手を傷つけるだろうと思うとね。 ・・・あれ、しあわせってこんなに後ろめたいものだったっけ? -
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