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2002年05月16日(木) ■ |
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今日も学校のPCから。 電話回線が通じるのにもう2、3日。
寝過ごして授業サボタージュ(←最近私的流行り)してウチでテレビつけてたら、思いっきりテレビでみのもんたが「奥さん、ストレスを溜め易い人っていうのはねぇ、」とパネルを持ち出しての毎度のパターンで喋ってた。 それによると、どうやらストレスと溜め易い人間というのがタイプ的にいるらしく、反省癖のある人、のんびりした人、いつも無意識的に笑顔を浮かべている人(浮かべてしまう人)は、ストレスが溜めていることに気付かず、溜め込んでしまうのだそうで。 しっかりした感じの人は「あ、これストレスだ!」と気付いてうまく発散できるそうだ。すぐさまそれについて怒ったり、各自の他の発散法でストレスを溜めないようにするとのこと。 主観でだが、ストレス溜めるタイプの人のほうで思い当たった点が2、3あって焦る。 …そういや溜めてるかも。 最近のあたしは絶対、思い詰めて思い詰めて溜めて溜めてから涙したり爆発したりする、思い詰め系(ニューカテゴリ/だって良い言い方が出てこない)だったりするのだが、それって一体何を溜めてるかと言った時に「なんだかもやもやするもの溜めてんだけど、これって一体なんだろう?」と首をかしげてしまうことが多い。 ストレスを溜めてる、という単語を聞いて「ああ、ストレスか」と目からウロコが落ちる思いでいたり。 これもストレスと認識せずに溜めて込んでいるということか。 ストレスって、溜まると精神衛生上すんげえ良く無い。 うん、良く無い。 妙に実感がこもっていたりするが。 しかし、最近は本当に怒るということが少なくなってる。 適当にへらへら笑っておけば回避されるということをどこかで知った為だろう。 人前で感情をちゃんと上手く出せないと、「なんか」が溜まっていく。 言いたいことが言えてるのか、そこを結局判断するのは自分てことになるのだろうけれど、その自分が「なんか」によって心の判別がつかなくなってたりしたら、その時はどうしたらいいんだろう。 追い詰まるところまで追い詰まるしか無いのか。 追い詰められてきた時、そういう自分に気付いてくれる他人がそばにいるというのは本当に幸せなことだ。 他力本願じみているが、そういう他人身近に欲しいなあ、と現在思い詰め系なあたしは思ってみたり。 しかし結局、その袋小路に辿り着くまでの経過の中で、ちょこちょこと、回避するための脇道はちゃんとあって自分で選択して回避することも出来るのだから、その脇道を選択しないで勝手に追い詰まって他人に縋るというのは、振り返った時余りに他力本願に思えて格好が悪い。 自分で何とかできるチャンスがあるんだから自分で何とかしたいものだ。 だからなるたけ、良い意味で、人に頼らない。 人にべたーっと寄り掛かって頼ってしまうような真似はしたくないし。 追い詰まりかけの段階で、自分でどうにか這い上がっていきたいと思う。 まあ、駄目な時はそんな理想を言っていられない程駄目なんだけどな。 できれば、上手く怒るとか泣くとかという今出し難く感じている感情をストレートに出していって、ストレスは即座に発散、つー感じで生きたいね。
…さて、みのもんたがやっていたストレスの話から、どうしてこんなに重い話になるのだろう? むう、いつものあたしの癖か。書いてるうちにどんどん真剣に物事を考えてしまうという。 所詮、テーマのある議論が好きな人間ということだ。 なんだか日記がコラムのようだ。
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