21世紀猫の手日記
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携帯も寿命のようだ。買い替えないとなぁ。しかし、ここまでほぼ通話しないとは思わなかった。プランを変えようと思おう。多分、冬場は地下鉄になるだろうけれど、一回乗ったけど大混雑で、携帯落としたらもうそれはそれは地獄な感じだ。正直、地下鉄で見られるとは思えない。
今は夜の20時少し前だ。西の窓からは、山と夕暮れが見れる。太陽は一時間前に沈んでしまって、空は濃紺だ。昼の残滓の茜色が日が沈んだ方向に残っている。静かです。開けた窓からは車の走る音がするけれど、心は落ち着いている。まぁ、怒っていることはある。
けれど、去年のすごく攻撃を受けている時の精神状態に比べればかなり楽だ。今は、金銭的に読みが甘かったので、ちょっとなんとかしようと思っている。今思うとやり方がやっぱり悪質の極みなので、どっかにばらしてやればよかった。迷惑受けたのは私だけではないのだ。
今日病院へ行く途中、公園の角を曲がりながら思った。
これはもう、ておくれ案件なのだが、自分はつらい状態が長すぎた。他の若い人をみると、つらくて無理となると、すぐ休んじゃうんですね。 三分の一いないときもあるw。 まぁ、わりと管理職よりの友達の話だと、今の子はすぐ休む、メンタル弱い、すぐ泣くとか、メンタル系の苦言を聞くんですよ。 自分は(苦笑)手術以外は、ほぼずる休みなかったんです。休むと回らない環境だったから。
気分転換不可能レベルでダメージを受け続ける環境が長かった。これは、病気になっても仕方がないと思った。つらいのに耐えているのが、多分尋常レベルと期間ではなかったのだと思う。こういうのほかの人にはあじあわせたくないな。確実に病気レベルで、復活が難しい。
米津玄師のプラズマをきいて、我が家にもしもがあったなら……。 と思う。
いやー、母親が嫌がったので、父方のじいちゃんばあちゃんと同居はしなかったんだけど……。両親、ジジババたちと、同居もしくは近所に住めばよかったと思う。ばあちゃん、結局それほど、介護ってほどじゃなかったしね。意欲は低下していたけれど……。父だってじいちゃんとのかかわりが面倒だったのでおそらく距離を置いたのだろう。じいちゃんと色々あったら、私にそんなに支配しようとか思わなかったんじゃないかと。
母親も、ある意味、ジジババの監視下ってほどじゃないけど、行動とか見られるし、文句も言われるわけですよ、おそらくね。会いたくないんだからw。いろいろと、私に来なかったかもしれない。党活動も、もうちょっと地味というか私に迷惑レベルでやらなかったかもしれないな。
その分二人は苦しいと思うけど(苦笑)、家一軒建てなくて済んだしね。エネルギーのむける方向がこっちこなくて、もう少し穏やかな関係になれてたかもな。多分、小金がたまったら、旅に出る両親になっていたんじゃないかと想像する。
それに、何か、家の床に水が溜まってカビだらけになった時も、全く私の話を聞かないで数年たってから工事したりと、自分たちがこの世で一番正しい状態が来るのがもう少し遅くなってたかもしれないのだ。外とのつながりが、持たざるを得ない環境ですから。父方の親戚も、比較的近所に住んでいたりしたし。あそこまで極端な感じにならなかったかもしれない。
多分、もうちょっと幸せだったんじゃないか?と思う。
父が一人暮らしになった時、誰も頼る人がいないとか、寂しいとか思わなくて済んだ。あの家があった場所は、住宅街ではあるけど、車の運転ができないときっぱりアウトだった。病院も、スーパーも徒歩では不可能なので、都会に近い感じはしたけれど若い人しかすめないというか、ド田舎と環境が同じなのだ。
誰かに来てもらうっていうのも、ひと手間がかけなくてすんだ。多少寒いとか図々しいと思っても、じいちゃんの家に住んでw、改築を重ねたほうが幸せだったのかもなと思う。結局、父の建てた家っていうのが、コストを下げるのに、CGで安直に全体を小さくした、すごくどうにもならない家だった。
トイレも脱衣所も狭すぎて、玄関から茶の間に行くのも、普通に困難だった。暖房も、セントラルヒーティングでは熱感を感じられずに、結局ポータブル石油ストーブをつけていた。じいちゃんの家なら、基本が石油ストーブだったから、それプラス電気ストーブのほうがまだよかったのかと思う。
じいちゃんのところに住んでたら、父も、精神的やいろんな意味で孤立しなかったんじゃないかと思う。都会の福祉の人のほうが、接遇とか多分ましで、(多分…)すべてのサービスをやめてしまうとか、そういうひねくれることもなかったかもしれない。ひねくれても、事業者がたくさんいるからもっと何とかなったのかもなと思う。
スーパーも歩いて行けるところにあったし、病院も施設もたくさんあるし、やっぱり都会に住まなかったのは、先見の明てものがなさすぎだと思う。ジジババたちが両親にあたえる精神的苦痛なんて、私が両親から受けたものに比べたら全然だと思う。古典的だし、ばあちゃんもひいばあちゃんにいじめられたので、そんなにやれなかったと思う。毎日多少のちくちくはあるだろうけどな。
……とか思ったりした。
うーん、うまくいえないけど、年を取ったらどうなるかなんて、父親は考えてなかったんだろうと思う。そのあたり、じいちゃんと同居してたら気づいたかもしれないのになぁ。
私から見ると、両親は2人そろって「この世で一番自分が正しいとおもう病」にかかる年が早かったと思う。認知症とはまたちがう、なんか精神的な孤立というかそんな感じだ。私への過干渉も、コントロールをたしかめるがための、コントロールでなかなかの拷問だったしな。普通の人ならこの件だけで入院するレベルじゃないかと思う。
愛がないとはいわないけど、体に苦痛が出るレベルなんで、毒じゃないとは言えない。自分の好きな人を、この親たちに紹介したいかというと、できないレベルでしたし。そう、好きな人には、むしろこの親とは親戚にはさせたくないと思ったことがある。差別がひどいから。
過去はかえられないけれど、両親にも生き方を変えるチャンスって、こまごまとあったんだろうなと思いました。早いうちに過干渉をやめていれば、……もう少し私の将来を真剣に話し合う場をもてたら、もう少し余裕のある関係だったら……親が倒れても、私がもうちょっといい対応ができたかもしれない。
話をしただけで、半月以上ダメージをくれる父という仕上がりにはならなかったかもしれない。仕事とか生き方とかもう少しましなしあがりだったかもしれない。 もうどうにもならないことばかりだったけれど、いろんな人の話を聞いて、むちゃむちゃ頭を抱えている状態ではある。自分の未来ややりたいことがまったく考えられないところまで、子供を追い込むって良くないよな。
ZAZAは特に、自分は悪いことはしていないという一点において確実だったので、自殺はしなかったけど、……最近はわりと若い人とかかわることがおおいんですが、若い人の追い詰められ方より、自分のほうがけっこう酷い(苦笑)とおもった。 自分と同じような状況にさせられたら「自分悪いのかな」って死のうとする人多いんじゃないかと思う。がんじがらめですから、今の時代なら携帯は20歳過ぎてからみたいな、わけのわからんルールを守らされる感じで。
でー、今、もう少し変わろうかと思っているけれど……。年齢的にいかがなものかと思う。やりたいことをやりなさいにしたがうけれどw。
zaza9013
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