|
|
■■■
■■
■ 朔-saku-
無事に発売日です。
あまり更新しないと云っておきながら・・・来てしまった。
曲はどれも好きです。 そして強く感じたのは、もう言葉の持つ意味の無さでした。 京本人も云っている通り、どこかこの人は(このバンドは)歌詞の重要性をワザと無視、或は棄ててしまったのだと。 英詞が多い事実に嫌悪を感じるのは、小生がクダラナイ英語教育を人並みに授けてきたからに他ならない。きっと小生も、京が発する声に対して言葉の必要性を見いだせなくなっているからだとも。声を提供する為には器としての言葉が、道具として存在する事が不可欠であるという常識が未だどこかに有るから、まどろっこしい。それをやっている人達も居ない訳じゃないが、 京の中には依然として吐き出しきっていない感情が有り、現状では処理出来ずい居るんだろうか。彼だけでなく、メンバーの誰かも言葉に対して失望し、未だ期待しながらも、そろそろある種の聴き手を見放そうとしてる様に感じる。言葉にどれだけ想いを込めても受けとめる側に素地が無ければ無意味なだけでは終わらず、誤解さえ招く故の虚無感からか。
言霊とは、言語=言霊 ではなくて、言霊=経験(その人なりの知り得る常識と知識、それに裏打ちされた言語/言葉)で成立すると思う。 言葉とは経験(知識)が伴っていなければ、ただの言語。 本来、言語の違う人間にスペル(呪文)は効かないというから。 話が飛ぶが神道の祝詞は聞いた人間に意味が理解できなければいけないものだった筈だ。(祝詞は神に捧げるものですが、言葉足らずで割愛)
最終的に京の気持ちを伝える最適な「言語」は何になるのだろう。
英詩が全般を占めるのは、至極、単純に海外をターゲットにしてるから、と解釈するのが正解です。
そして、この文章自体も経験の違いから理解して貰えないのを知っています。
2004年07月14日(水)
|
|
|