ドリトル先生 - 2001年07月13日(金) 犬は大きいのがいい。彼等には余裕がある。彼等を見ていると、たんたんと自分を見失わずに生きているようで、勇気づけられる。ねこはねこで好きなんだけどね。 テレビで「ドクタードリトル」を見た。 本の「ドリトル先生」は、昔小学生の時にほとんど読んだ。近所の図書館で借りてくるのももどかしくて、図書館の日溜まりで一気に読んだ覚えがある。読み切れなかったのは借りて帰って、学校から帰るとまた図書館。今考えると、えらくin doorな子だった。おもしろい本がなくなると、もちろん外でがんがん遊んでたけどね。 本の中のドリトル先生は、映画のドクタードリトルより、もっと落ちついた印象だった。たしかシルクハットをかぶってたはず。なんしか、おとなだった。もちろん映画の方は楽しくするために、どたばた、若い印象にしてるだろう。 映画の方でぐっと来たのは野良犬の収容所。檻の中に入れられた犬が、口々に助けてくれと叫ぶ。彼等は囚人ではない。 昨日なじみのバーに飲みに行ったら犬を連れたお客さんがいた。かなりの老犬でよわい15歳だと言う。もう背骨が曲がってしまってて、数歩進むと右に90度ほどターンしてしまう。ほっておくと、くるくる同じ所を廻っている。そんななのに妙に元気で、いつまでも同じ所を廻っている。カウンターで飲んでる飼い主の横をずっとくるくる。飼い主とちょっとしゃべってて、ふと下に目を落とすと相変わらずくるくる。 見てると酔いそう? ってか彼はめぇ回れへんのやろか。疲れない?もう20分は廻ってるで。多分もう麻痺してるんだろな。かわいくもあり、ちょっと切なくもあり。 犬と生活してるとそいつの考えてることがだいたい想像つくようになると言う。もちろん、それには思いやりがいるとは思う。僕は犬を飼ったことはないけど、そうなるだろなと思う。実はペットサロン件ホテルをされている先輩の所に、都合二年ほど居候してた。その時の経験からか、それ以降今まで、中型〜大型犬で友達になれなかった犬はいない。ちょっと自慢。座敷系は苦手。100匹相手すると2-3匹はどうしても分かり合えない。 引っ越しで、結婚で、飼い主が亡くなられて。いろいろな理由でペットホテルに預けっぱなしになった病気の犬や老犬を見た。そういう事をして痛む心はあるのだと思う。「でも今は仕方ないから」と捨てたり置き去りにしたりできる人がいるのは事実。心底悲しくなってしまう。 彼等は生を受けた以上生きていかないといけない。捨てられた犬には法律も善悪もない。食べることが彼等のルールだ。ゴミをあさり、保健所に捕まる。 背骨がまがって、同じ所を廻るようにしか歩けなくなっても、毎日散歩に連れていっているくだんの飼い主さんはかっこいい。大変だと思う。でもそうでなきゃとも、そうあって欲しいとも思う。 昔、手話で人間と会話するオランウータンの話をテレビで見た。「あなたはおばかさんね」「おばかさんはあなたよ」ってな会話をしてた。そう言うと人が笑うことを知っていて、しかも笑って欲しくてそう言っているという。びっくりした。そういう研究をしている機関があるという。 ドリトル先生みたいに全ての動物と話をするのは大変かも知れないけど、いつか少しづつでも彼等の言葉が聞けたら、いいなぁ。それまでは彼等の言葉を汲み取ってあげなきゃね。 -
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