やるきまんまんの日記
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死の過程を歩いたことがある。僕は今、夜間のみ人工呼吸器をつけている。 それをつけていないと、そのうち死ぬ、らしい。そんな実感は、不思議と全然しないのだけれど。 でも、よく考えるとそうなのだ。
死の過程を歩いたのは、その人工呼吸器をつける直前のことだ。 あの頃は、朝起きるのもしんどくて、起きるのは昼頃。日中しんどくて、何もやる気がしない。 夕方の介助の人が来たら食べるもの食べて、すぐ横になる。風呂も体全部洗うのがきつくて、 頭だけとか、体の一部とか洗っていた。 活動していたのは、5時間とかだった。
でも、死に近づいているという感じはしなかった。 順調に進行しているなと。 ただ、自分はなんて怠惰なんだと。 頑張ればがんばれると思っていたし。
しかし、そんなことは全然なく、本当に弱っていた。 死にかかっていたのだと思う。もうしばらく、2、3年はそれでも大丈夫そうだったみたいだけど。
進行性ということで、死ぬことは生きる過程の上に見え隠れしていたものだったけど、 周りのことが気に掛かった。恋人はいなかったので関係なかったけど。 特に母親のことは。家族愛コンプレックスをもっていても。 彼女は僕の死を、ただ一人の息子の死を受け入れることができるのであろうかと。
僕は彼女が僕のことをどう思っているのか知らないし、 これまで、僕のためにどういう悔しいことを受けてきたのかも聞いたこともない。訊ねたこともない。
多分あれが死ぬこということの過程なのだと思う。 多分また同じようなことが、巡ってくるのだと思う。
たのしみです。むふ。
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