ケイケイの映画日記
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| 2026年09月28日(月) |
「ダウンタイム」Netflix |

面白かった!整形を通して、ルッキズムを問うのかと予想していました。そういった側面もありましたが、描かれていたのは、整形へ至る心の闇でした。そして回を追うごとにそこは鳴りを潜め、描きたかったのは、血に捕らわれる愚かさや、生きて行く上で必ず付きまとう、「孤独」の先に何があるのか?ではなかったかと思います。監督はYuki Saito。
形成外科医の沼田文(松岡茉優)。緊急で運ばれた患者の命を救うため手術しますが、その事がトラブルとなり、病院を追われます。父親の天才美容外科医の新(渡部篤郎)より「神の手」の継承者と謳われる遠山凜(仲里依紗)のスカウトにより、凜が院長を務める遠山美容外科に勤務する事になります。
様々な理由で整形を受ける女性たち。役を得るため。コンプレックスの克服。再生数を増やしたい小学生のインフルエンサー。そして醜形恐怖症。それぞれを丹念に描き、登場人物に心を寄せる描き方は、心の中を面白おかしく覗く、野次馬的なものではなく、彼女たちと一緒に考える作りでした。そこが題材の際物感を払拭し、深みを与えています。
私が心惹かれたのは、癌で余命いくばくもないのに、全身整形をしたい75歳のゆり子(研ナオコ)。他人には命懸けで整形するなんてと、バカにされたと語ります。解るよ、私は。これくらいの年齢の女性は、結婚したら自分を押し殺す事が当たり前で、多分その事に疑問さえ持たずに生きて来たんじゃないかな。そこに夫が善き人であるか否かは、関係ないです。でも夫が亡くなり、解放されたとて、何をしたいかも解らない。そこで今まで封印してきた、「美」への想いがムクムクしてきたんだと思いました。完成まで漕ぎ着けたら嬉しいし、途中で死んでも本望かなと思いました。凜の台詞は、私は美容外科医の誠意だと思います。
他には野呂佳代の演じるお母さんも印象深いです。「ルックバック」でもそうでしたが、彼女、普通の優しいお母さん役がとても上手い。作り物じゃない暖かさがあります。彼女はちょうどゆり子の娘くらいの年齢です。「自分が我慢するのは当たり前」の呪詛から一歩脱却出来て、嬉しかったです。
患者たちを描きながら、バックでは文と凜のそれぞれの背景や、遠山美容外科の内幕も同時に描きます。文の家族は実母の妙子(永作博美)と継父の高志(増子直純)と、父親違いの尊(武田創生)。文はがさつで気が強く、情に脆い。そして言葉使いが異常に悪い。これが母親の妙子そっくりなのな。母娘喧嘩のシーンでは「育ててやった恩を仇で返すのか、このバカ娘!」「お前に恩なんかねえよ、このクソババア!」と、もう清々しいほどの罵詈雑言(笑〉。文が美容外科に転身したのは、高志の莫大な借金のせいですが、このダメ継父が借金以外はすこぶる善人です。この家族から逃げないのは、尊が心配だからだけではないと思うな。
遠慮なく母娘の愛憎をぶつけ合う二人。なのに甲斐甲斐しく病に倒れた母親を親身に世話する文の暖かさに、実の親子の血を感じます。
対して華やかで優秀、冷徹な凛。元祖・神の手の美容外科の父の新との関係は、一見和やかに見えるものの、常に緊張感を漂わせている。偉大な父の腕を継承しなければのプレッシャーかと思いきや、とある人の「偽物」の言葉に、引っ掛かりを感じます。取り巻きがいっぱいの凜ですが、それは彼女の地位に対しての取り巻きです。一つ失敗すると、次々彼女から去る。追い詰められた凜は、唯一の理解者であるパートナーのリリ(シシド・カフカ)にまで毒づく。
そして家族がいるからこその孤独を、文も味わう。厄介な事です。血筋しか信じない、冷酷な新。妙子の「私がバカだから」のうわ言は、色んな想像を刺激しました。でもドロドロの昼メロ感に進むのを救ったのは、凜でした。
「私がバカでした」以降の彼女の行動は、父親からのプレッシャーから、彼女の持って生まれた良心が、悪に堕ちようとする自身に抗ったからだと思う。それまでもチラチラ凜は、良心を垣間見せていました。大切なキーパーソンの沙良(Kōki,)は、幼い時からそんな凜に憧れ、愛に似た感情を抱いていたんじゃないかなと。だからこそ手術の事で凜を独占出来ると思った。文の母娘とは違い、歪な愛憎です。そこも救済出来たのは、凜の人格だったんじゃないかな。
主役二人は、きっと映画並みに代表作になると思います。他には永作博美が、びっくりの気の強い場末のスナックのママさんですが、これも大熱演。ずっと可愛い彼女しか記憶にないので、松岡茉優のお母さんて、若過ぎない?と思いましたが、もう55歳なんですね。この作品を契機に、さらに殻を破って、今までとは違う役柄も演じる俳優さんになる気がしました。
ラストの再会は続編の期待をしてもいいのかな?様々なプレッシャーや因縁から解放された二人は、医師としても人としても成長しているはず。小物感満載の副院長ルイ(間宮祥太朗・好演!)も、続編あるなら、ちったぁ成長した姿を見せて欲しいです。本当はこの3倍書きたいけど、長くなるからこの辺で。ネトフリが観られる方は、ド薦めします。
| 2026年09月23日(水) |
「オデュッセイア(IMAX 字幕版) |

監督のクリストファー・ノーランは、現在ハリウッドのメインストリームを驀進中の巨匠候補ですが、私は彼の一番好きな作品をと問われたら、「メメント」と答える、めでたさも中くらいの相性です。作り込んでいるなぁ、凄いなぁと鑑賞中は思うのですが、ノーラン作品の中身は直ぐに忘れちゃう(「メメント」以外)。今作は背景が面白そうだし、キャストがみんな主演級。そして全編IMAX仕様の撮影と、盛沢山な内容に心惹かれ、大嫌いな長時間の作品でしたが、観てきました。いや、面白かった。神話物のテーマパークみたいな、一大娯楽作でした。
10年に及んだトロイア戦争を勝利に導いたイタケの王オデュッセウス(マット・デイモン)。しかし船団を率いての帰還には、想像を絶する苦難が待ち構えていました。帰らぬ夫を待ち続ける王妃のペネロペ(アン・ハサウェイ)。その間に、国を狙い、アンティノオス(ロバート・パティンソン)を筆頭に、十数人がペネロペに求婚し、連日の宴で城は混乱を極めていましたが、王妃は水際で跳ね返していました。実に20年です。生まれたばかりの息子テレマコス(トム・ホランド)は、母の窮地に心を痛め、父オデュッセウスを探す為に旅立ちます。
トロイア戦争とは、ブラピ主演で大ヒットした「トロイ」に原因は描かれており、その他有名なので割愛。その時の勝利の契機になった、トロイの木馬も出てきて、ここも両軍入り乱れての大戦の中、オデュッセウスの勇敢さを浮き彫りにします。しかし本作の本題は、その後の困難を極める帰還にありました。これが大スペクタクルの釣瓶打ちなわけ。
ノーランは子供の頃からこの作品の原書を猛烈に愛読。絶対映画化したいと思っていたそうな。その子供の頃からの熱意が画面に溢れていて、何と言うか、子供心を忘れない大仕掛けを見せて貰いました。単眼の巨人、槍の軍団、冥府の亡霊、魔女キルケ(サマンサ・モートン)、セイレーン。そして精霊カリュプソ(シャーリーズ・セロン)。それぞれがイタケの兵士たちの前に立ちふさがり、邪魔をする。そして神々さえ彼らの敵になる。たとえ勝利であったにせよ、戦いの報いのように感じました。
荒れ狂う海や難破のシーンも含め、上記見応え充分で、久々にIMAXを堪能しました。魔女キルケは、島に上陸した男たちから性的な暴行も受けたのではないかと、私は想像しました。カラスは彼女の姉妹。鳥の姿のままなのは、鳥なら人間の男に傷つけられることがないからなのか?そんなことまで想像してしまいました。評判通り、サマンサ・モートンがやや疲れた、そして魔女らしい幻惑さを漂わせ、出色の存在感です。
帰還後の様子も、一筋縄では行かない。ここも剣や矢を使っての大立ち回りがあります。原書を知らないので、オデュッセウスやテレマコスがどうなるのか、全く読めませんでした。全てを見終えての感想は「無事の御帰還を」と家族に見送って貰い、家族の元に帰るまでが、「無事の帰還」だという事。戦いの勝ち負けより大事なんだな、これが。
配役で好感を持ったのが、何と言っても重要な役シノンに、エリオット・ペイジが抜擢されていた事です。男性に性別を変更したのは知っていましたが、小柄で華奢な彼には、今後の俳優として役柄に恵まれるのかと案じていました。ノーランには「インセプション」でエレン・ペイジ時代に起用されており、エリオットを観た瞬間、ノーランの親心的なものを感じて、とても嬉しかった。監督に応える好演でした。
一番好きなキャラはペネロペです。美しく聡明。20年間音沙汰のない夫を信じて待ち続けるとは、正に貞女の鑑ですよ。途中で誰かに鞍替えしなかったのは、オデュッセウスとの息子テレマコスを王にしたかったからもあったと思う。そーだよ、現代なら「シングルマザーだって女を大切にしていいじゃないか」なんて論争になるところだけど、子供を犠牲にしてまで、自分が女として生き直すのは違う。私はそう思うな(きっぱり)。演じるアンは楚々としながらも王妃の貫禄充分で、オスカー候補になって欲しいわ。
トロイのヘレネには黒人のルピタ・ニョンゴ。そりゃ賛否両論でしょうね。意表を突いたキャスティングですが、他にもイタケの戦士にアジア人がいました。これはポリコレを意識したのかな?でも黒光りする美貌のルピタは、そりゃ国を賭けて争奪戦が起こるよなの、説得力充分だったので、私的には問題なしでした。それよりヘレネの顔の傷は、戦争によるものなのか、駆け落ちの代償か、それが気になりました。
もちろん、マットもトムも振り付けもバッチリ、相当練習したのだろう、立ち回りも素晴らしく、熱演でした。でもあれだね、日本なら御館様が亡くなれば後見人はいようとも、建前は嫡男が領主を拝命するはず。でもギリシャ神話は違うのね。「仁義なき戦い」を彷彿させました。うーん、神話が反社と親和性があるって事ですか?(笑)。
全編これ見せ場ばっかりで、三時間あっと言う間です。観るならせっかくなので、IMAXでどうぞ。あれこれストーリーを深掘りするより、冒険活劇として大変楽しめました。ノーランの別の一面が観れて、嬉しかったです。

アニメ版を鑑賞したので、実写はもういいかと思っていました。良き感想を壊したくなかったのですが、監督は是枝。是枝は子供や思春期の女の子を描くのは、抜群に上手いのよね。結果、見逃さずに良かったです。監督は是枝裕和。
小4の藤野(七瀬ふうり)は、学年で漫画の腕が一番なのが自慢です。学校新聞では、四コマ漫画を担当。本日も大好評です。そんな時担任の先生(宮藤官九郎)から、同じ学年の京本(岡田六花)に、四コマ漫画の枠を一つ渡して欲しいと言われます。京本の圧倒的な画力に、打ちのめされる藤野。しかし藤野が京本に、卒業証書を渡しに行った事をきっかけに、二人は意気投合。絵を描く事を間に置き、かけがえのない親友となっていきます。
私が観ようと思った一番の動機は、「アニメを観た人にこそ、観て欲しい」の一文を目にしたから。アニメ58分、実写99分。この41分の差は、鮮やかに少女二人をより深く彩っていました。
当初こそ不登校の京本を小ばかにしていた藤野ですが、京本の絵を目の当たりにしてから、友達とも一切遊ばず、寝食を忘れて描く事に没頭する。実写版では、これでもかと藤野の努力を映します。この年にして、片手間で書くのじゃ、一番にはなれないと悟った訳です。素晴らしい。しかし友達は「オタクと思われる」姉は「漫画ばっかり描いて、どうするんだ」と、説教する。いやいや、どうして頑張る事を否定するんだよ。姉の打ち込む空手は良くて、漫画は駄目なの?好きなものに打ち込むのは一緒だよと、私は憤慨。
しかし京本は、「藤野先生!」と自分を呼び、「私なんか学校に行っていないから時間はたくさんあるけど、藤野先生は、学校に行きながら、あんな素晴らしい作品を作って、凄いです!」と、藤野の努力も称えたのです。この台詞は、私の記憶では、実写版のみだと思います。ファンと言われる事より、藤野はこの事が嬉しかったんだと思う。
来る日も来る日も一緒に漫画を描く日々を丹念に描きます。ここもパソコンではなく、地道にコツコツ、筆を走らせる様子が、生き生きと、力強く描かれます。ここも実写の強みです。
やがて二人は中学生。藤野は出口夏希、京本は蒔田彩珠に変更。あんまり自然で、一瞬判らないくらいでした。私が本当に感心したのは、撮影当時は二人とも素敵な大人の女性の年頃です。それが中学生〜二十歳前くらいを演じて、全然違和感がないのです。この5〜6年くらいは、女の子は容姿から何まですごく変化します。中学生くらいの設定時は、チラチラ大人の風情が出そうになるのを、必死に持ち堪え、なんて頑張っているのかと、感動しました。そのお陰で、私の中で二人の強い友情が、すごく盛り上がりました。
京本が二人の解散を申し出る時、京本に罵詈雑言を浴びせる藤野に対して、揺るぎない京本の姿が印象的。京本は藤野との日々で、絵を描く事を極めたいのだと、成長したんだよ。そして藤野は暴言吐きまくりなのに、自分から京本が離れていくのが、寂しくて堪らないのです。それはいつも偉そうな口とは裏腹、藤野が京本に敬意と感謝を持っていたのが、画面から伝ってきていたと思うからです。
if,もしも的な挿入は、今回もあり。実写版はその前振りで、自分と京本を繋いだ、自分の四コマを見つけて、涙する藤野を映す。私が四コマを描かなければ、今でも京本はこの部屋で描いている、私のせいだと思ったのでしょう。今回のif、もしもは、明確にどんな形でも、二人は出会っていた。その後素晴らしい青春を送ったのだと、藤野を励ましていたと思います。
その他、新しい家で、家族四人明るく暮らす藤野の家族が、何度も登場するのに対して、古い家屋に住み、亡くなった祖母の存在しかわからない京本の家庭。これは京本の家族を断罪しているのではなく、色んな意味で、藤野は京本を照らしていたのだと思います。二人は陰と陽ではではなく、月と太陽だったんだなと思う。
藤野の家族だけではなく、編集者(菅田将暉)、大勢の藤野のアシスタントと仕事部屋は、実写版のみで、それぞれ色濃く漫画と絵画の違いを際立たせていました。多彩でアイデア豊富の藤野。画力は漫画を描く上では大切な要素の一つ。対して京本は唯一無二の画力を持ちます。漫画という構造を際立たせる事で、二人が発展的に解散するのは、仕方なかったのだと、観る者に納得させてくれます。
桜や紅葉、清々しい川の流れなど、豊かな東北の自然も眼福でした。アニメ版も好きですが、私的には実写版に軍配が上がります。アニメ版を観た方も、是非どうぞ。心が瑞々しく洗われる作品です。
| 2026年09月19日(土) |
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 |

ベトナム帰還兵の壮絶なPTSDを、真正面から誠実に描いた作品です。深く心を打たれました。今までそれなりに戦争が題材の作品は観てきて、その知識が役にも立ちました。著名な日本人俳優は、ラスト近くにリリー・フランキーが出るだけで、登場人物はほぼ外国人ですが、日本製作の作品です。監督は塚本晋也。元海兵隊員アレン・ネルソンの手記が原作です。
18歳で海兵隊に入隊したアレン・ネルソン(青年期・マーク・マーフィ)。ベトナムでは、上官の指示通り、殺戮を繰り返します。期日が来て除隊したネルソンですが、戦場で起きた事が、ふとした拍子にフラッシュバックし、その度に暴れます。途方にくれる家族から、自分を厄介者だと感じるネルソン。廃墟で一人寝泊まりする彼を、教師になった幼馴染が、自分の生徒に戦禍の様子を話して欲しいと言われます。最後になって、一人の児童が手を挙げます。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と、問います。
アレンがベトナムから帰還した当時、まだPTSDやフラッシュバックの概念が確立されていなかったと思います。海外では多くのPTSDを描く作品が作られていますが、日本はでは、あまり見かけません。そうは言っても、精神を病んだ日本兵も、過去にはたくさんいたはずですが。
アレン(壮年期ロドニー・ヒックス)は、PTSDの治療のため、ダニエルズ医師(ジェフリー・ラッシュ)のカウンセリングを受けています。その中で浮き彫りになるアレンの戦争の記憶。そこから紐解かれるのは、戦争の本質でした。
沖縄で訓練の時は、現地の人に蛮行を繰り返すアレン達アメリカ兵。それを「週末はテーマパークのようだった」と、楽しそうに話すのです。曰く、上官からこれから黄色人種を殺しにいくのだから、沖縄も同じ。暴力の限りを尽くしても良いのだと言われたと言うのです。強く憤りを感じました。沖縄は決戦があった場所であり、長きに渡ってアメリカ領でもありました。少し前基地について、テレビのコメンテーターが、米軍基地なら横須賀にも他にもあり、沖縄だけ特別視するのはおかしいとのコメントを聞きましたが、こういった歴史上の出来事を鑑みれば、他の基地と同列に語る事に違和感を覚えます。
ベトコンが潜んでいる可能性が万に一つでもあれば、女子供、年寄りも容赦なく殺戮。そして村は焼き尽くす。捉えて拷問したベトコンに、どうして他所の国で戦うのだ、差別されて苦しいなら、自分の国で戦えと罵られる黒人の兵士たち。そこで初めてアレンは、前線に行かされるのは自分たち黒人か、貧しい白人であると、認識します。被差別者だった自分を、軍人になる事で、そこから脱出したように錯覚させたのが、戦場だったのではないか?
カウンセリングの最後に、ダニエルズ医師は毎回必ずアレンに、「何故人を殺したのか?」と問います。「当たり前だ、戦争のせいだ!殺さなければ自分がころされた!」と怒りを露にするアレン。私はどんな言葉をダニエルズが待っていたのか、予想出来ました。そして当たりました。
アレンの視点で語られる回想は、加害現場ばかりなのです。何故殺したのか?と問われて、殺人を正当化する彼。ダニエルズの毎回の問いに、必ず激怒するのに、アレンはカウンセリングを続ける。吐露したいのに出来ない、被害者だけであるのは行けない事だと、アレンが判っていたからではないか?自分は被害者であり、加害者であると認めた以降の彼の心は、限界を突破したかのように、前に進みます。戦争の一番の事実は、加害者であり被害者であることだと、私は受け取りました。だから、勝ち負けなどないのです。
そして、アレンに「ネルソンさん」と問いかけた少女は、「殺しました」と答えた彼に、何と答えたか?その無垢な言葉は、アレンは生涯覚えていたと思う。そしてダニエルズ医師の「何故殺したか?」の問いに対しての、本心の吐露は、この言葉が呼び覚ましたものだと思います。少女の言葉に対しての、アレンの涙は、私は「後悔」ではなかったかと思います。
当時、ベトナム帰還兵の心の治療は確立されたものはなく、各々治療者にまかされていたと、ダニエルズは語ります。医師の人格・思想などが多大な影響を患者に与える事は必至です。ファイトを繰り返すようなスタイルでしたが、魂のレベルで、共鳴があったのでしょう。素朴に表現すると、相性ですね。
聡明なアレンの妻(タチアナ・アリ)。連れ子をしての再婚です。あの様子では、アレンは就業は難しい。日常生活も困難だったと思います。観ながら、彼女は戦争未亡人だったのかと想像しました。夫がもし帰還したとして、アレンのようになっていたかもしれない。前夫にアレンを重ねて、支えようと懸命だったかと思いました。アレンの立ち直りも、この妻あっての事だったはずです。
日本には実に1200回以上、平和について講演をしたアレン。1995年の沖縄での少女の性的暴行事件がきっかけだったそう。戦場に出る訓練をした沖縄に、深い因縁というか縁を感じたのだと思います。
アメリカでは、軍隊の誘致に関して、その裏側の事実について、講演して回ったそうです。それは連れ子の学校で語り部となっている姿が、作品内でも描かれています。
そしてびっくりしたのは、ベトナムにも行っている事。劇中でも出てきます。講演前にフラッシュバックにも襲われる様子も描かれ、この病とは一生付き合うのだというのも解ります。こういった背景を映した後の謝罪のシーンは、とても尊いものに感じました。
枯れ葉剤の後遺症により、61歳で亡くなったアレン。彼にも監督にも、この作品に携わった人全て、賞賛と感謝を送ります。色んな思惑があり、この作品の上映館は、とても少ないです。近くで上映があれば、是非ご覧ください。必見作です。

亡くなった原作者の東野圭吾氏は、校区が違うだけで、ほんの近所で育ちました。年齢も私が四つ下とほぼ同年齢で、氏のエッセイを読むと、放課後に遊んだ場所やお祭り、子供の頃の原風景も同じです。なので、勝手にオラが街の大作家と誇りに思い、親近感を持っていたので、氏の逝去は本当にショックでした。もちろん原作も何作が読み、映画化も観ています。今回も追悼で観たいと思いましたが、出来が悪かったら嫌だなと、敬愛する映画友達に相談したら、「大丈夫、観ておいで」と背中を押されての鑑賞でした。持つべきものは友。原作も読みたくなりました。監督は岸善晴。
弁護士の白石健介(中村芝翫)が殺害され、その数日前に白石と接触のあった倉木達郎(三浦友和)が捜査線上位に浮かびます。何度か倉木の自宅を訪れて聴取する刑事の五代(柄本佑)に、倉木はあっさり犯行を自供。父親の無実を信じる倉木の息子和真(松村北斗)と、真実が知りたい白石の娘美令(今田美桜)。二人は真実に導かれるように、協力して父親たちの軌跡を辿り始めます。
この内容ですから、倉木は偽証しているのは予想できます。なので、何故倉木が偽証しているのか?、誰を慮っての事か?そして真相は?の展開です。東野圭吾の原作は長尺で内容も濃く、脚色を誤れば薄っぺらくなりがち。今回は私と相性の良い岸監督のせいもあってか、展開は澱みなく、台詞や展開は、後々に繋がってくるので、左程疑問に思うところもありませんでした。これは脚本の向井康介の功績でしょう。
実直で温厚。似通った美点を持つ倉木と白石。「これは自分の父親ではない」と、和真と美令が強く疑念を抱く様子が、胸を打つ。二人とも良き父だったのでしょう。彼らの成育の健やかさまで感じました。私はこの点が一番好きでした。
居酒屋を営む洋子(風吹ジュン)織江(井川遥)母娘を登場させ、冤罪の無念さや、加害者家族の壮絶な差別や苦悩も描き込み、そこも観客に問いかけている。
五代の苦悩には、検察に行ってしまえば刑事の仕事は終わり。心残りがあっても捜査出来ない無念さを体現している。そして作品は、物証ではなく自白が最も重大な証拠である危うさも指摘。時代設定は克明に記され、最終は2018年だと記憶にありますが、今は少しは進歩しているのでしょうか?
唐突気味に語られる、白石家の弁護士(松岡依都美)の真犯人の犯行動機は、恨みつらみではなく、本人の素因に纏わると語られ、これは素因が遺伝に繋がり、加害者家族の苦悩が深まるのではと、危惧しました。
そして最大の疑問が倉木の行動です。彼の偽証の唯一最大の理由は、自分の罪悪感です。しかし散々洋子たちを見ていて、その辛さをまだ若い和真が、一生背負うはめになる事は、解っているはず。その事には、罪悪感は無いのか?
和真との面会を拒絶したのは、息子の顔を見ると決意が鈍るからでしょう。「母親が闘病時僕は高校生で。父がお弁当を作ってくれるんですが、それが不味くて。お金貰う方が良かったんですが、それが言えなくて」と泣き笑いする和真。お互いを想い合う父と息子の過去が、一瞬に浮き彫りになり、秀逸なシーンです。
倉木には過去を清算したい身の上があったのは解ります。でも遺産を洋子親子に渡したいだの、度が過ぎる。そこに私は、倉木程の善き父親でも、妻子に対しての無自覚な傲慢さを感じるのです。夫・父親の意思には従うべきだとの思考です。和真の語る父は、「仕事一筋の人」。仕事をして養ってきたのだから、との思いが、倉木にはなかったでしょうか?
私の父親は四度離婚、五度結婚した破天荒な男ですが、甲斐性は人一倍どころか、私の夫の10倍はありました。晩年、「男は妻子に贅沢をさせれば、何をしても良いと思っていた。80過ぎた今、それは間違っていたと思う。お父ちゃんが悪かった」の言葉を聞けたことが、父との最大の想い出です。
上記二つの私の疑問は、原作を当たれば書き込んでいるのでしょうか?久しぶりに東野氏の小説が読みたくなりました。作品としては、犯罪について、多岐に渡ったテーマを、コンパクトにまとめていて、充分水準以上の作品に仕上がっていると思います。

久しぶりに打ちのめされました。賛否両論ある作品ですが、私は絶賛です。監督は中島哲也。
金に汚い仕事ぶりで、「死んだ方がましな人間」と仲間内で囁かれていた探偵の光本(佐藤二朗)が殺されます。調査を依頼されたのは、元同僚で、今は一匹狼の佐竹(西島秀俊)。師匠の寺西(役所広司)から託された、新人探偵の聡子(満島ひかり)を助手に、捜査を進めます。そこには9年前の障害児誘拐事件が絡んでいました。
「死んだ方がまし」な人はいないと思いますが、「生きていても意味がない」と、世間に思われている人は、いると思います。その思考は、やまゆり園の事件につながる事だと思います。私はそれは間違っていると、否定している作品だと思いますミステリー式に光本の死を追いはしますが、この作品の肝はそこじゃない。私は親にとって、子供とは?を問う作品だと思いました。。
独りで障害児の育児に対峙する辛さや葛藤は、佐竹の妻の由紀(柴咲コウ)や、誘拐された子の母の民恵(黒木華)を描く上で、画面からもよく伝わります。「この子がいなければ」という負の感情にも、理解も示している。しかし子供が居なくなっても、彼女たちに安息は訪れないのです。
民恵が息子探しを光本に依頼したのは、純粋に息子の今を知りたかったからだと、私は思う。でもそれだけじゃない。精一杯障害児の息子の世話をしたのに、失った途端、精神状態がおかしくなった由紀共々、彼女たちが持ち続けるのは、「この子がいなければ」と思った、自分に対しての罪悪感です。
事件を辿りながら、現在は別の家庭を築く民恵に、聡子は息子の養育を迫ります。彼女は娘と離れ離れ。会う事を拒否されている。隠れて娘を見つめる慈愛深い聡子の表情が切ない。迸る行き場のない母性の先に、民恵の息子がいました。でも聡子が民恵の息子・新(しんすけ)に、肩入れするのは、娘の身代わりではないと思います。
新が画面に出て来た時、その障害の強さに、少したじろぎました。しかし何度も画面に出てくる新が笑う時、私も笑顔になる。その時ハッとしました。見知らぬ子供の笑顔を観て、こちらまで笑顔になる経験は、誰しもある事です。そこに障害の有る無しは、関係ないんだよ。暑苦しいお節介で、新の養育を民恵に迫る聡子は、同じ母親として、民恵に罪悪感の上乗せをして欲しくないのだと思います。
新を誘拐し、そのまま数奇な経緯で父親として一人で育てている哲雄(宮藤官九郎)。捨てようと思えば出来たはず。亡き妻の「運命」という言葉は重かったと思います。でもその言葉に従ううちに、新こそが自分の生きる目的になる。「こいつだけだもん、俺の家族」「俺みたいな人間がまともに生きてこられたのは、こいつのお陰」。この言葉が実の親ではなく、血の繋がらない父から出た事が、どれ程尊いか。そして哲雄は、多くの福祉支援を受けていた事に、私は注視します。
死ぬ間際に、光本が何をしたか?あれこそ血の繋がった父親の業かと思います。障害児の息子の死に、自分を責め酒浸りとなり、自暴自棄になった佐竹もまた、親の業を背負っていたと思います。寺西は、そんな佐竹を甘ったれと断罪します。しかし、彼に調査を依頼したのは、父親から逃げ続ける佐竹に、逃げられぬ爆弾投下だったんじゃないかなぁ。これもまた、師匠としての親心かと思います。
クドカンが素晴らしかったです。いつもながらの飄々とした演技の中、新によって人として変わった様子が、手に取る様にわかる。ろくでなしだったでしょう、それが謙虚で思慮深く、誠実な人にしていました。彼は彼のまま。変貌ではなく、成長だと感じました。
とても苛烈な作品です。私が痛感したのは、親で有る事は、重い業を背負っているのだなという事。決して子育てする親を、孤独にしてはいけない。哲雄の境地になるには、多くの支援が必要だと思いました。子育て経験のある私は、きっと出来る事がありそうです。
中島哲也は、「下妻」から観続けて、ピークは「告白」。ここまでは文句なしに大好きでしたが、「渇き」「来る!」は、イマイチでした(いや、イマニ、イマサンくらい)。その後のパワハラ騒ぎで、もう終わるのかと残念でした。でもこの作品を観て、どっこい生きていた。私はやっぱり思うのです。監督・中島哲也は素晴らしい。
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