あふりかくじらノート
あふりかくじら
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去る者、待つ者、残る者あり。
くじらはいつも去る者であるはずだった。
でも、残る者にもなることがある。
去るほうより残るほうが淋しいとはよく言う。
誰かが私の人生から去ってしまうとき、
または誰かが私の生活から去ってしまうとき、
気持ちがしんとする。
あんまり泣かなくなった。
米兵を見送った家族は、どのような気持ちで
残っているのだろう。
アメリカは荒れているみたいだ。
<淋しいもの>
ひとりのベッドで朝目覚めること、その朝の光。
深夜のラジオ、あたたかい音楽。
<強くなれるもの>
風呂上り、身体にローションを塗ること。
そのときのラジオ。
そして、自分の思う誰かが、この地球のどこかで
生きていると実感する瞬間。その喜び。
恋人でも、友人でも、家族でも。
★ ★ ★
バスラで百余名の民間人死亡。
ニューヨークで抗議行動。
「戦争」が問題なのではないね。
2003年03月28日(金)
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国家という名をはずせ、その偽りの正義を。
すでに何人もの生命が失われている。
そんななかで、わたしは普段どおりにお昼ご飯を食べた。
信じられないことだ。
なんてまずい食事だったのだろう。
国家のイデオロギーが、国民を覆い、個人の生命の集合体である
という事実を見えづらくする。
少し考えればわかることが、それぞれのエゴから発端し、
「国家」をむごいところへ方向付けてしまう。
あれだけたくさんの戦争反対の動きは、これで無視されてしまった
ことになる。
結局のところ、ごくひとにぎりの権力を握る人々が
頭を突き合わせ、その結果政府として打ち出す結論が
誰かを死に追いやるわけだ。
民主化とはいったいなんだろう。
市民パワーとは幻想だったのだろうか。
アメリカが、内包される反戦派の存在にもかかわらず
国家として国際的に非難をうけるとき、それを指示すると
トップが発言した日本という国家もまた、その反戦派の
存在にもかかわらず国際的な非難にさらされる危険性がある。
世界中を駆け巡っているらしいメールの署名も、
4、5通ほど受け取ってしまった。
少しむなしくも思える。
このことだけが、我々個人の答えではない。
人間が人間を見ながら暮らす日は、やってくるのだろうか。
2003年03月22日(土)
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問題の本質はどこにある。
イラクのこと。
緊迫している。
戦争反対を訴える署名が、溢れている。
攻撃を仕掛ける方も、それを阻止しようという方も、
意地になっているとしか言いようがない。
国際問題としてのそれは、国民の問題というよりも
国家間の問題、ひいては政府の問題だ。
攻撃を仕掛けたあとの国際関係について、
アメリカとの関係においての懸念がある。
すでに、イラクがどうのという話ではなくなっている。
イラク政府の意見はどうだろう。
十年前も今も、イラク政府がとった態度はけっして
良いものではなかった。
当然の成り行きといってしまえばそれまでだ。
問題の本質はどこにある。
たぶん究極のところ、明日にでも死ぬかもしれない
罪のないひとりの人間にある。
国境をはずせ。
国家という名をはずせ。
人間を見ろ、と。
2003年03月15日(土)
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色である音の、そのユニークなるパワー・重量・および容量について。
ざくざく
ていねいに。ひとつひとつ色が生まれる。
ぽろぽろ、そしてずんとひと突き。
生きている。生きてきた。それが、それらすべての音。
一方で空間的だ。
無数に連なるそれらが、よりあわさって音楽となる。
フジコ・ヘミングの指先から発せられる彼女の魂のかけらたちは、
うつくしい雨だれ。
ひとつひとつ、重たく透き通っている。
それらはすべてとても孤独で、ひとつぶずつ自立している。
ひとつの色が音楽。織り成すすべてが音楽。
彼女の人生、ヨーロッパの空気とか重さとか歴史とかそういうことだ。
無数の鉛のような雨がうつくしく色濃く煌き、
髪や顔や身体じゅうに、そしてこの世界のすべてに降り注ぐ。
触れた瞬間、それはやわらかく消え去り、
残された想いだけが重たく充満するのだ。
押し寄せられる力の波。
それはわたしの魂と融合する。
フジコ・ヘミングとそのピアノのものがたり。
うつくしい重たさで、息苦しく動けない。
録音され冷凍保存された音楽ではない。
生きて、血が通っていた。
2003年03月02日(日)
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