1998年07月23日(木) |
たとえば「至上の愛」であるとか? |
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風邪を引いて、今日は欠席。
こんな時には、ジャズでも低く掛けて、熱が下がるのを待つのが正しい。災厄はギヤをローに入れてやり過ごすのだ。
何を掛けるか、としばし思案する。どんな物がよいだろうか? ハード・バップはとても聴く気になれないし、さりとて、雨の夜を乗り切るためのピアノ・ジャズは似つかわしくない。
たとえばジョン・コルトレーンの「至上の愛」はどうだろう。
けっして踏み外すことのない彼のストイシズムは、やや大げさに言えば「闘病生活」にふさわしい。
だから例えば、「至上の愛」を。音量を下げて、あくまでストイックに。さながら「歯痛を病んだ夜鳴き鳥のように」。
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早いもので、もう実務修習の最終局面である。家裁修習が先週終わり、刑事裁判修習に入った。
重大な合議事件がちょうど掛かっているので、興味深い起案が出来そうである。
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修習生は、裁判修習の間、修習日記なるものを書くことになっている。これは毎週末一週間分をまとめて提出するもので、修習生は皆結構のびのびと書きたいことを書いている。
中には昨日食べた料理のレシピを書くものも。僕の場合は、「修習短歌」を一週間ごとに一首詠むことにしている。
いつかまとめてウエブに載せることも計画している。
1998年07月13日(月) |
少年審判廷での出来事 |
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家裁修習も、いよいよ佳境。
少年事件が興味深い。少年審判廷で涙を流す少年を見た。少年の涙は、私の心に意外にも深く突き刺さり、暫く心の一部で矢のようにふるえていた。
泣く少年にも2種類あって、一つは鑑別所で2週間から3週間監護措置を取られたことで自分自身の犯した非行を見つめ、自分自身のあり方を考え、真摯に反省する少年と、自分が少年院に送られることを裁判官の態度から感じ取って泣き出す少年である。
どちらの少年も、泣いているときは、やはり幼い少年の眼をしていた。
1998年07月12日(日) |
幻の酒「福来」を求めて |
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久慈までドライブ。目的は、幻の酒「福来」を酒蔵で買い込むこと。岩手県知事賞を受けた大吟醸が、この旅の目的である。
幻の酒と言っても、久慈市内では普通に売っている酒である。
ただ、盛岡には売っていないし、やはり現地で(出来れば蔵から直接)買うのが礼儀であろう、などと変な理屈を並べ立て、同期の修習生のN氏と東北道をさらに北を目指して進んだ。
お目当ての酒蔵は、日曜日であることもあってさすがに閉まっていたが、酒蔵の道路を挟んだ向かい側に酒蔵と関係のあるらしい酒屋があったので入ってみる。 すると、人当たりの良いおばさんが出てきて、我々が盛岡からわざわざ買いに来たというと、どれが美味いか、作り方の違いや、タンクの違い、ブレンドの有無などを説明してくれ、おもわず「福来」だけでなく、同じ酒蔵で仕込んだ純米原酒などまで手を出してしまう。
帰りは、安宅洞(あっかどう)に寄って、洞窟探検。さらに岩泉を経由し、竜泉洞にも立ち寄る。洞窟のはしごとは。
1998年07月04日(土) |
映画「インディペンデンス・デイ」 |
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July 4th.
映画「インディペンデンス・デイ」は、あのゲティスバーグ宣言を模した大統領の宣言で終わりにすればいい映画だったのにと、今更ながら思う。
後半は、完全にギャグだったからね。大体、何で、異星人のコンピューターにウイルスを注入するなどという荒唐無稽なものを思いつくのかねえ。
1998年07月03日(金) |
PORTRAIT IN JAZZ |
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村上春樹と和田誠が編集した「PORTRAIT IN JAZZ」を聴く。なかなかいい。 チョイスに深みが感じられるのは、村上春樹が国分寺でジャズバーのマスターをやっていたことと無関係ではないだろう。
しかし古いのが多いね。嫌いじゃないけど。ソニー・ミュージック編は、ビリー・ホリデイが二曲、ベニー・グッドマン、ルイ・アームストロングなどなど。
ポリドール編は、一応一般向けにもビル・エヴァンス「MY FOOLISH HEART」、セロニアス・モンク、スタン・ゲッツなども。
悪くないね。でも、コルトレーンは? たとえば至上の愛とか。
1998年07月02日(木) |
ポール・オースター「City of Glass」 |
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ポール・オースター「City of Glass」を読む。 これについては相当詳細に論じるべきコトがあるので、文学の時間に書く。
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家裁修習に入る。
成年に達する寸前に送致されてくる事件の扱いを巡って裁判官に質問され、あわてて六法をひっくり返す。
少年法の構造が頭の中にイメージとして浮かぶまではちょっと苦労した。
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