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大学時代の文科�稽爐瞭唄�の女性が、実は私の勤務する事務所にセクレタリーとして勤務している事が判明し、共通の知人の話で盛り上がったのは、先週の北京旅行の時の話。
そこで文学研究会の話をしたためか、まともな文学を読む気になり、先週末にどっさり本を買い込んできた。
いまさらながらという感はあるが、大江健三郎「万延元年のフットボール」、カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だった頃」、トニ・モリスン「青い眼が欲しい」、ミラン・クンデラ「生は彼方に」、中村稔「中也を読む」。
うーむ。見事なまでにまとまりがない。さながら無作為的抽出である。 あ、あと、ポール・オースターのMusic of Chance(偶然の音楽)をPaperbackで。彼の作品は、やはり原文で読んでこその味がある。売れない詩人であった彼の言語感覚は、英語でこそ研ぎ澄まされているのが判る。とはいえ、柴田元幸氏はかなりよくやっているとは思うけれど。
中村稔氏は、詩人であり、弁護士である。すでに文学と法律の分野において偉大な業績を残しておられる。僕にとって偉大過ぎる先達である。中村合同という優れた特許事務所(私の同期の友人が勤務している)の代表でもあり、同時に日本近代文学館の館長を勤める中村氏は、宮澤賢治についてこう語る。
『賢治に惹かれる理由は、彼が詩人であったからではなく、農業技師であったからでもなく、「詩人であると同時に農業技師であることがなんら矛盾していなかった、そういう人物の精神の奇怪な眺望がぼくを把えるのである。」』
僕が、宮澤賢治、ボリス・ヴィアン(小説家にして機械技師、音楽家、映画監督)などに惹かれるのは、この中村氏の視線と同様の理由によるところもある。僕はその意味では、恵まれている。「先達はあらまほしきものかな」である。
・・・・しかし、これをいつ読むのだろう。すでに読んだ小説の書評も書こうと思っているものがたまっており、例の主体の二重化の議論(アゴタ・クリストフ)も書けてはいるが、いまいち割り切れずにアップしていない。
帰宅して酒でも飲むか。まだ開栓していないブナハーブンは、父と呑むために取っておくとして。
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4日間ほど北京に行ってきた。事務所旅行である。 いかにもパックのツアー旅行という風情であるが、総勢220名(二班に分かれた)という人数であるだけに、仕方あるまい、と観念してバスに揺られる。
一日目。 事務所全体のパーティーとホテルのカラオケで日が暮れる。
二日目。 万里の長城と明の13代の陵墓を見た後、ようやく解放され、早速雑技団と足裏マッサージを手配する。雑技団は、本場の技に魅了される。足裏マッサージでは、飛行機の中で覚えた片言の中国語で話しかける。幸いにも片言の英語が判る方がいたので、一時間30分しゃべりたおし、挙句「明星(ミンシン)」だといわれ、顔を赤らめる。写真を一緒に取らされる羽目に。その後、気の合う同期と酒を飲みにいき、二時頃ホテルに帰ると、同僚の中国律師に捕まり、その知り合いの現地の方と朝4時30分まで飲食。ここでも中国語を学ぶ。
三日目 朝9時起床。昨日のうちにレンタサイクルを手配しておいて良かった。
早速北京の市街を地元の人々に混じって颯爽と(?)サイクリング。交通ルールはあってないようなもので、極めて危険。だが、爽快である。
故宮博物院に入り、2時間ほど見物。故宮そのものより併設された人の少ない宝物保管の建物の方がより中国らしくよかった。その後、天壇公園で円形の建物群を見る。
そして一番のメイン。裏通り(胡同(フートン))を自転車で巡るのだ。 1歩入っただけでも生活臭が濃厚である。舗装は所々しかないし、路面に容赦なく穴が空いている。上半身裸の男性が多く、道路の端で、軍人将棋のようなものを何人かで囲んでやっているのも見える。まるで迷路のように入り組んだ裏道を、その場その場の判断で駆け抜ける。これぞ、北京だ。 やや衝撃を受けたのは、二歳くらいの幼児が、ごみ箱のような土管のなかで眠っているのかそれとも死んでいるのか判らないが、横たわっている姿だった。
胡同を飛び出し、今度は北京市街の中心を見て回る。オリンピックの招致をてことして、一足飛びに経済的発展を遂げようと試みているといった印象である。非常に近代的なデパートなどもあり、資本主義国家にも引けを取らない繁栄ぶりである。 その繁栄の裏に隠されたものは、あの光景である。なかなか忘れられないであろう。
後で、ほとんどの高層ビルに鉄筋が入っていない(我々の宿泊した王府飯店も最上級クラスのホテルであるにもかかわらず、入っていない)という事実を聞かされた。一説には、北京市内の高層の建造物で、鉄筋が入っているのは、僅か3件だけとのことである。
さて、その夜、5時から宮廷料理と京劇のツアーである。 しかし、出発したはいいが、中心街を進むバスが、信じられないほどの渋滞に巻き込まれ、わずか150mから300m程度進むのに一時間近くかかるというありさまである。だが、遅々として進まないバスの窓から見る北京の人々や町並みをじっくり観察でき、それなりに楽しめた。
その後、又中国律師でかつ外国法事務弁護士の同僚の方と二度目の夕食。豪華。食べきれないほどの量。どれを食べてもいける。ダチョウの手とナマコをビニールの手袋をして食べる。その後さらに呑み。この時点ですでに2時を回っている。ここで僕は失礼したのだが、最後までいた人の話では、朝5:30まで呑んでいたそうだ。
最終日は7:00起床で、また強制的旅団結成。旗を持っているガイドに付いて回るという屈辱を再び受ける。あの恥ずかしい行為は何とかやめさせられないのだろうか。
結局その足で事務所に戻り、少し仕事をしてから帰宅。この時点で午後11時30分。 全く休養になっていない。やれやれ。
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