2002年03月22日(金) |
無機質な言葉の羅列に飽きた。 |
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無機質な言葉の羅列に飽きた。
作業途中で手を止める。窓の外を見る。多分雨が降っている。本当に雨が降っているのだろうか。低空を這うような厚い雲のせいか、夕暮れ時だというのに暗い。一定の傾斜角で落ちてくる水の粒子があるはずだ。だがその流れを見極めることはできない。室内の光の反射が原因だろう。やがて透明度の高いガラスの層の向こうに光る線が現れる。そして消える。外は花冷えだろうか。空調が利いているので、外気温を知ることはできない。外界から隔てられた世界で完結しているのはなにも自分ばかりではないのだ、と言い聞かせる。
再びPCに向う。再び羅列される言葉は無機質である。温度のない言葉の断片が、画面を埋め尽くして行くのを僕はぼんやりと見ている。
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先週の金曜日は、仕事を早めに切り上げて帰宅途中に同僚と飲むことができた。 それも、午後9時前である。昨年まではおよそ考えもしなかったことだ。
久しぶりに神楽坂のBarへ。 留学がいよいよ来年に迫っているので、自ずから留学の話題となる。
Harvardは、大学の成績が重要視されるらしいとか、NYUはTOEFLのスコアが重要だが、スコアさえ取れていれば通りやすいとか。そんな話題。 面白くもないが、切実である。
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マスターが、私の顔を見るなりポートエレンの新しいのが入りました、といって18年ものを薦めてくれる。
ポートエレンは、1983年に閉鎖してしまったディスティラリーだが、人気は高い。今ある在庫がなくなれば、もう飲むことはできない。勿論いただくことにする。ピートの薫りが香ばしく、口あたりもよい。次に来るときまで残っているだろうか。
この日誌を読んでいる方は、私のことを銘柄ばかりに拘るスノッブと思っておられるだろうが、要は美味ければよいのだ。美味いものを銘柄で記憶しておこうという習性があるので、ワインでも、日本酒でも、シングルモルトでも、同じである。
名前のあるディスティラリーやシャトーにこだわるのは、小説家の名前で次に読むべき小説を決めるようなもので、あたり外れがある程度予測できるという程度のメリットしかない。愉しみは、むしろ一度も試したことのないものを頼むことにある。
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その後キングスレーのカリラを頼むが、これは見事に失敗。友人と二人で首を振る。
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